「人生で一番練習しても結果が残せなかった理由は、自分自身の気持ちだったと思う」
1年間のカナダ行きを決めた萌木の村所属ショートトラック選手・水野彩萌

ROCKで働きながら、スケート・ショートトラックの選手として活動をしている水野彩萌。たったひとりの“萌木の村所属のスケート選手”である彼女は、北京オリンピック出場を目標に競技を続けています。

そんな彼女は今年、1年間のカナダ行きを決め、つい先日旅立ちました。

彼女はなぜ今海外へ行くのか? 出発直前のタイミングで、水野彩萌に話を聞きました。

成長を実感した1年……だけど結果は残せず

——この9月から1年間、カナダに行くそうですね。海外に、と考えたきっかけは何なんですか?

今年の3月に終えたシーズンの結果がやっぱり大きなきっかけでした。実は去年はすごく濃い1年だったんです。それまで6年間教わっていたコーチが全日本のナショナルチームのコーチになって、新しく日本人コーチが1人、韓国人コーチが1人が来たんです。韓国人コーチの練習は今まで一番キツい内容で。一般的には練習ってキツい練習があったら、イージーウィークっていってちょっとゆるい練習が来るんです。そういう繰り返しで仕上げていくんですが、去年はキツい練習、キツい練習、キツい練習……っていう感じで。「今日はイージーだよ」って言われた日もキツいんです(笑)。だけど、日本人コーチの教え方もすごくわかりやすくて、技術面の変化がよく現れて自分でも成長を実感する1年でした。

水野彩萌。

——環境としてはすごくよかったということですね。

そうです。今いるクラブはもともと日本で一番氷上練習ができるところですし。毎日滑れる、いい日は1日2回滑れるなんて環境はほかではなかなかありませんから。

——それなのに今年環境を変えるというのはなぜ?

結果が出せなかったんです。全日本の選手権大会でもう一歩でA決勝(1位から6位までの選手が走る最上位の決勝戦)に行けるというところまでいけた。でも、どうしてもあと1人が抜けなくて7位から12位の決定戦の方になってしまったんです。もうすごく悔しくて。A決勝に行っていればナショナルチームに行けていたかもしれないという試合でもありましたし。人生で一番練習したし、滑りや技術面は確実に変わった。レースも内容自体は納得できるものだった。だけど、それでも結果は出せなかった。

——今できる全力は出したってことですもんね。

「じゃあ、何が原因なんだろう」って3月からずっと考えていたんです。練習内容以外で勝てなかった理由を考えていったら、「ああ、自分自身の問題だ」って思ったんです。もちろん体力も技術ももっと磨かないといけないけど、それ以前にモチベーションや気持ちの弱さが一番問題なんじゃないかって。今のチームに来て7年。職場のROCKも理解があって、支援してくれている。このままスケートを続けようと思えば今年も来年も同じように続けられる。そういう環境で、ずっと自分自身が変われてこなかったんじゃないか、と。

次の北京オリンピックが最後のチャンス

——安定はしてるけど、悪く言えば惰性になってしまっていた、と。

それに、改めて考えるともう選手としての時間も残り少なくなっているんです。自分のなかでやっぱりオリンピックが大きな目標なんですけど、平昌は出られなかった。そうすると3年後の北京オリンピックが最後のチャンスなんです。

——3年後というとまだ水野さんは24歳ですよね? まだもう1回くらいはチャンスがあるように思えるんですが。

ショートトラックって一般的には25歳くらいまでがピークなんです。

——え、そんなに若い年齢で?

もちろん25歳以上で活躍している選手もいるんですが、多くの選手はそれくらいで引退していきます。というのは、ショートトラックって1日に何回もレースがあるんです。大会はだいたい2日間なんですが、1日目の午前中にまず1,500m滑って、午後に500mがある。2日目は1,000mをやって、決勝まで行けば最後に3,000m。だから持久力が重要なんですが、そこはどうしても年齢で衰えやすいんです。

——今スポーツ選手って30代でも活躍している人も多いから、20代前半というとまだキャリア中盤くらいのイメージでした。

私もほかのスポーツを見ていてびっくりすることがあります(笑)。フジテレビで「ミライ モンスター」っていう今後を期待されている次世代のアスリートを紹介する番組があるんですけど、ほかの競技だと25歳とかの選手が「ミライ モンスター」として紹介されてたりするんです。スケートは絶対10代ですからやっぱり驚きますね。

水野のスケート靴。足に合わせてオーダーメイドされているだけでなく、刃の部分や靴部分の位置なども微調整が加えられている。

——じゃあ、ショートトラックだとオリンピックを狙えるのはせいぜい2〜3回ですか?

そうですね。本格的にオリンピックを狙える年齢というとやっぱり高校生くらいからなので。高校生から20代後半までで4回出た選手もいますが、なかなかそうはいかないですから。

——じゃあ、次の北京オリンピックが水野さんにとっては実質ラストチャンスという気持ちなんですね。

はい。北京オリンピックの年で引退です。今までって最終目標はオリンピックだったんですけど、遠い目標の前にまずはワールドカップだったり全日本選手権だったり、目の前の試合の結果を出したり、代表になることを考えてきたんです。でも、そこでもなかなか結果は出せないし、そこだけを考えていてもオリンピックは見えてこない。それで改めてオリンピックに照準を合わせて考えることにしたんです。そうすると残り3年……というか、もうあと2年半。全然時間がないんですよね。今までと同じことをしていても代表になれるとは思えない。今までのように10か月練習して大会に出てっていうんじゃなく、1シーズン捨ててめいっぱいやってみよう、と。

——あ、そうか。今年の国内の大会は出られないんですね。

そうです。いずれにしても1年間行くとなると1シーズンは諦めないといけない。で、最初は来年の3月から1年行こうと思ってたんですけど、それだとオリンピック選考会の選考みたいな大会に出られないって気付いて。それで9月から1年間行くことにしました。

決心から4か月で出発!

——なるほど。本当に「今しかない」といううタイミングだったんですね。でも、3月にシーズンを終えてから考え始めたってことは、カナダ行きを決めたのって……

今年のゴールデンウィークです(笑)。

——急(笑)。そんなにすぐ行けるものなんですか?

行けたんですよ(笑)。

——行き先は最初から決めてたんですか?

ほかの国っていうのも考えたんですけど、カナダはスケートではオリンピックのメダル常連で、私の行くカルガリーは各国のスケート選手も合宿に行ったりするところなんです。しかも、ラッキーなことに以前お世話になっていたカナダ人コーチが今カルガリーにいて、そこで大学チームの幹部みたいなことをやっていたんです。その人に「行ってみたいと思ってるんですよね」って話をしてみたら、「いいよ、おいでおいで」って言ってくれて。受け入れ先がすんなり決まった。

——おおー、縁があったんですね。

あとはビザの問題ですね。資金をどうしようかって考えてたんですけど、ワーキングホリデーでビザを取って働きながら行けばいいんだって気付いて。(今年春からカナダに渡ったROCKのスタッフ)武藤さんも行ってるし、簡単にワーキングホリデー取れるんじゃないかって思ったんです(笑)。ほかにもここのスタッフでいろいろ海外に行っている人もいたので、相談してみたら「手伝ってあげるよ」って言ってくれて、サポートしてもらいながら無事取れました。カナダは割と取りやすくてよかったです。

——ROCKは海外行く人もけっこういますもんね。

確かに身近な人に多いかもしれないですね。以前はカナダのハーフで大学もカナダに行ってたってスタッフもいましたし。

——身近にそういう人がいると何かと相談できるから、海外に行きやすくなりますね。

競技の関係でも向こうに行っている日本人選手がいて、連絡を取ってみたらいろいろ協力してくれました。最初はシェアハウスに住む予定だったんですけど、それがダメになってどうしようと思ってたら、その人がインド人選手を紹介してくれて。そのインド人選手が住むところを見つけてくれたんです(笑)。

——世界各国の人たちが助けてくれてるんですね(笑)。

そうなんです(笑)。カナダ人コーチは現地のバイト先も紹介してくれたり。正直「どうやったら行けるんだろう」ってくらいの状態だったんですけど、「何とかなるだろう」と思って調べたり相談しているうちに何とかなったという感じです(笑)。

「頑張るんじゃなくて楽しむんだ」

——家族はカナダ行きについてどういう反応でしたか?

両親には「行こうかなと思ってる」とかでなく、「行くことにしました」って決意してから話をしたんですけど、母は「いいじゃん、いいじゃん! 行ってきなよ」って言ってくれて。父は「もう知らない。好きにやりな。俺は止められないから」って(笑)。でも、「何とかできるかわからないけど、困ったら連絡してくれ」って言ってくれました。

——お店にはそのあと?

クラブでコーチに話をしたあと、社長(萌木の村創業者・舩木上次)にも話をしました。社長は「行きたいんだよな? なら行ってこい」って。

——帰国後はまたROCKで働く予定なんですか?

はい。試合もあるのでどれくらい働くか、まだわからないですが。最後の年はオリンピックイヤーですし。でも、今のところは試合期が終わったらまたガンガン働こうとは思っています。

——これから1年、楽しみ……というのはちょっと軽すぎるかもしませんけど、いろいろありそうですね。

今はワクワク半分、緊張のドキドキ半分という感じですね(笑)。でも、ちょうど昨日社長と話をしたんです。「選択を間違えるなよ」というような話をしてくれたんですね。それで「頑張ります」って答えたんですが、そうしたら「頑張るんじゃなくて楽しむんだ」って言われて。本当にそうだなって思いました。楽しみながら、挑戦というか変わりに行くというか、何かを探すわけじゃないけどきっかけがあればいいなと思ってます。

——1年後、また変わった水野さんに会えるのを楽しみにしています!

前の投稿
「すべての命をつなぐものづくり」を実現…
戻る
次の投稿
「今いる場所で咲かないのってもったいな…

ROCK MAGAZINE ROCK MAGAZINE