ROCKのある山梨県北杜市は多くの酒造メーカーが集まる土地。タッチダウンビールをつくっている八ヶ岳ブルワリーもそうですが、日本酒、ワイン、ビール、ウイスキー、焼酎などあらゆるお酒がつくられています。
なかでも長い歴史を持つのが「七賢」こと山梨銘醸さんです。創業はなんと1750年。250年以上にわたって、甲斐駒ヶ岳の麓、北杜市白州でお酒づくりを続けています。
今回はそんな七賢の創業家に生まれ、現在は醸造責任者を務める北原亮庫さんに話を伺います。三上浩太にとっては高校の先輩でもあり、現在は同じエリアの大先輩という存在。いつも以上に緊張した面持ちでお邪魔しました。
七賢初の「お酒をつくる蔵元」
三上 亮庫さんは僕にとっては大先輩なので、畏れ多い存在なんで、今日は緊張してます。
北原 何をそんな(笑)。
三上 やっぱりかっこいいですね。
北原 今日は外向きの仕事があったから(笑)。普段は作業着ですよ。
——そもそもおふたりの出会いはいつだったんですか?
北原 去年初めて開催した「HOKUTO SAKE GURUGURU(通称SAKE GURU/さけぐる)」ってイベントがきっかけですね。北杜市の酒蔵、酒造メーカーが集まって、各蔵を乗り放題のバスで自由に回ってもらうイベントです。そこで八ヶ岳ブルワリーさんにも参加してもらって。三上くんの名前は知っていたんですけど、会ったのはそのときが初めてですね。
三上 僕ももちろん知ってましたよ。世代は違いますけど、高校もいっしょなんですよね。
北原 そうだね。僕が高校生のときに三上くんは小学生とかですけど(笑)。同じサッカー部出身だし。
三上 亮庫さんは今醸造責任者ということで、お酒づくりを担当しているんですよね?
北原 そうです。農業大学を出て、ここに籍を置いて出向という形で岡山の酒蔵に3年くらい行ったりしたり、その前にはアメリカに半年くらい行っていたりもしました。日本酒の海外出荷が増えているころだったので、販売代理店やレストランを回ったりしていましたね。それで25歳くらいでここに戻ってきた。
三上 蔵元の人間であり、創業家の人間ですよね。そういう人が酒造りをやるのって珍しいんですか?
北原 うちでは僕が初めてですね。代々社長として蔵元の経営に携わってきた家系なので、蔵元は自分でお酒をつくる必要がなかった。つくるのは杜氏さんをトップにした蔵人のチームだったわけです。そういう形なので、酒蔵というのは蔵元と杜氏さんというふたりのトップがいるイメージですね。ただ、蔵人さんからすれば自分を連れてきてくれたのは杜氏さんだから、杜氏さんこそがトップという考え方もありました。杜氏さんは蔵元から必要と言われるお酒を造ることが最も重要でありその中で最大限の技術を発揮していきます。一方の蔵元は販売です。販売と言っても卸業務が主でしたので今のように直接お客様に販売する小売業は業界として行ってきませんでした。ただ現在は流通業界の変化など様々な時代の変化があり蔵元自ら小売りもやるようになったし、杜氏さんも高齢化が進んで、後継者不足が問題となっています。ということで蔵元自身がお酒を造るという流れになっていったのがたぶんこの十数年のことだと思います。
三上 そういう蔵は今多いんですか?
北原 増えてますね。全体からすればまだ少ないですが。でも、蔵元が造るスタイルの方が明らかに伸びている。やはりいろんなことが速いんです。日頃からお客様のことを考えている我々だからこそ、より想いがこもった酒造りが出来ると思います。
コントロールできないものが原点であり核
三上 七賢さんは2014年頃から醸造設備を新しくして、新しいブランド戦略も打ち立てましたよね。お酒のラベルやラインナップも一新しています。そのブランド戦略って本当に感動してるんです。サイトにしても、すごいなって。僕らもブランディングはまだまだで、七賢さんを見習わないといけないと思っているんです。けど、実際こういうサイトや動画をつくるのに至るまでってけっこう大変なんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう? もちろんお酒造り自体も大変でしょうし。
北原 でも、一回骨格みたいなものを自分たちで決めてしまえれば進みやすいですね。その骨格、自分たちが将来どうなりたいかというビジョンは兄とけっこう時間をかけて話をしました。
三上 お兄さんは去年代表取締役社長に就任しましたよね。普段から兄弟で話すことは多いんですか?
北原 あんまりしないですね。彼は今社長で年の半分くらいはここにいないですし。でも、話すときは重要案件なので話も濃いです。
三上 重要な話はふたりと決まっているわけですね。そういう柱のふたりが決まっているのはやりやすそうですね。組織ってどうしても関わる人間が多くなって決定が難しくなったりするじゃないですか。萌木の村も今までは(創業者で社長の)舩木上次という強烈な個性が引っ張ってきていましたが、新しい体制を考えていかないといけない時期に来ているので、模索しています。
北原 我々もようやく今の体制が形になってきたな、というところです。
三上 ブランドとしての打ち出しがすごくハッキリしていますよね。何においても水という核がブレない。
北原 そこは僕が造り手としてたどり着いたものだったんです。日本酒造りっていろんなコントロールポイントがあるわけですが、コントロールできないものもある。水はまさにそれで、自分が何をしてもコントロールできない。それは受け入れて向き合っていくしかない。日本酒というのはある意味、そのコントロールできない水を体現するものなんです。七賢の創業は1750年に北原家がこの地に分家を出したことですが、その理由には甲州街道という物流面での環境に加えて、この地の水に惚れ込んだというのがあったと聞いています。僕は創業家で酒造りをする初めてのヒトとして、今一度創業者がこの地で酒屋を開いた時へ想いを馳せるべきだと思いました。そのことは造り手として絶対に外せないことなので、お酒自体はもちろん、ブランディングでも造り手である僕の想いが言葉や写真として表現が出来るよう徹底しています。
酒造りからラベルづくりまで、造り手の想いを込める
三上 でも、そうするとお酒造りだけじゃなくて写真や言葉選びもやることになりますよね。
北原 そうですね。現在は10年間程ともに仕事をしているクリエイティブディレクターがいて、その方と話をしながら毎回進めています。お酒は全く飲めない方なんですけど、七賢の仕事がしたいと言ってくださり、以来一緒にやっています。写真も七賢ではカメラマンを決めています。「そこのうねりを! 酒の質感、潤い感を表現したいから! そこ!」なんていいながら撮ってもらってます(笑)。造り手としては幸せなことですよね。日本酒を造って、ネーミングも最後のラベルの色なんかも僕が最終決定をしているので、商品に関わるすべてに造り手の想いを込めることができる。そういうことってあまりできないと思うので。
三上 いや、本当になかなかないですよ。それっていつからなんですか?
北原 商品ラインナップを一新したあたりからですね。兄も一緒にやっているわけですけど、彼は僕と全然違う個性なんです。数字やマーケティングに長けている。僕はその辺は苦手で、感性や感覚で生み出すことが得意分野なんです。けど、兄はその辺は得意じゃないらしく、ラベルの話なんかしていても「お前のいってることがわからない」って感じで(笑)。最後には「お前に任せるよ」っていってくれている。だから、僕は最初から最後まで自分のイメージで創ることができる。絵を描くような感覚ですね。最初にイメージを設計して、色で考えたり、曲線とか直線とかそういう質感を考えていく。で、そのイメージのお酒を造るための製法を考えていくんです。
三上 素晴らしい!理想形ですね。でも、これをやるには体制も整えないといけないですよね。
北原 僕はチームづくりという感じでやっています。クリエイティブディレクターにしてももう10年くらい付き合いがある。だから、こうしたら僕に「違う」っていわれるだろうな、みたいなこともわかってる(笑)。これを毎回違うデザイナーさんに頼んでいると、毎回同じ説明をしなきゃいけないし、共有に時間がかかる。しかも、僕のことを知らない方であれば僕の感性を理解するまでにも時間がかかる。それってすごく時間の無駄じゃないですか。だから、理解してくれているチームでやっていくことにしています。
人は“点”でなく地域という“面”を求める
北原 でも、酒蔵の役割ってただ酒を造って届けるだけじゃないと思うんです。「SAKE GURU」もそういう気持ちから始めたこと。
三上 きっかけはなんだったんですか?
北原 もともと2年くらい前から考えていたんです。たとえば、うちには日本酒が好きな方というのが日頃からいらっしゃってくれている。だけど、その人たちが求めているのって七賢だけじゃないんです。「この地域を知りたい」とか「地域を体感したい」という気持ちが潜在的にある。それは毎年やっている酒蔵開放でよくわかりました。
三上 今年も3月2日から始まるイベントですね。
北原 はい。そこに来たお客さんにお話を聞くと、「このあとシャルマンワインさんに行くんだ」とか「サントリーさんに行くんだ」とか「泊まっていって八ヶ岳に行くんだ」っておっしゃる人がよくいるんです。つまり、七賢という“点”だけではなく、この地域という“面”でとらえている。だったら、その点をつなげて面にしてあげる必要があると思っていたんです。ただ、企画を提案してもなかなかいい反応をもらえなかったりしていて、半分諦めかけてたんですね。そんなときに飲み仲間に話をしたら「じゃあやろうよ」って賛同してくれて。僕より10歳くらい上で、その後実行委員会にも入ってもらっているんですが、そのふたりがその場で誰に声をかけるかすぐにリストアップしはじめて。それでいろんな人とつないでくれたんです。三上くんともそこでつながった。
三上 ちょうど去年アメリカに行っていたときにFacebookで「新しいグループに追加されました」って連絡が来ました。「なんだこれ?」って(笑)。でも「SAKE GURU」の発想って、うちの社長がいつもいっていることと同じなんです。北杜市を酒文化の発信基地にしたいって。こういうことをいっている人って社長以外だと特に北原兄弟が盛り上げてくれている。だから、社長も嬉しいと思います。「北原兄弟がやってくれてる! あいつらはやっぱりいいな!」って普段からいってますから。
北原 舩木さんと話していてそういう話にもなりました。ただ酔うための材料じゃない、上質なアルコール文化をここで醸成していきたいって。それってやっぱり大事ですよね。実は舩木さんには2017年に我々が発表した「杜ノ奏」というスパークリング日本酒のときにすごくお世話になったんです。「杜ノ奏」ではサントリー白州蒸溜所の「白州」のウイスキー樽を使わせてもらったんですけど、そのご縁をつないでくださったのが舩木さんで。「奏」という名前にはその辺の意味も込められているんです。「奏」というのはつまりハーモニーですが、人とのご縁のハーモニーだったり、ウイスキーと日本酒のハーモニーだったり、地域のハーモニーだったりするわけです。お酒ってそういう役割があると思うんですね。地域があって、食があって、文化があって、お酒はそれをつないでいる。
お酒をキーにしてお酒以外のものをつなげる
三上 一か所に酒蔵が集まるんじゃなく、各地を巡ってもらうという形はどういう狙いだったんですか?
北原 やっぱりまずは成功事例を学ぼうということで、ワインツーリズムのお話を聞きに行ったんです。どういう取り組みをして、どういう効果があって、地域に何が起こっているのかというのを聞いてきた。そこで感じたのは、巡ることによって「造り手と話す」「生産者と話す」「場の空気を吸う」「景色を見る」など体験を大事にしたいということなんです。一か所にまとめることももちろんできるけど、それならどこでも誰でもできる。ただお酒を消費するのでなく、体験、経験として感じ取れるものというのが重要だと思ったんです。
三上 でも、1年目の去年はなかなか大変だったんじゃないですか?
北原 本当バタバタでした。本当は1年寝かせて翌年、つまり今年やろうかって思っていたんですけど、この熱を1年寝かせたらもったいないと思ったんです。大成功じゃなくていいから、今の僕らの想いというのをひとつの形にして次につなげていこうと。だから、かなりタイトだったよね(笑)。行政にお伺い立てるようなこともしなかったし、メンバーも一本釣りで声をかけて。僕なんかは言い出しっぺだからということで実行委員長を仰せつかったわけだけど、そこまで動くことが出来ず…。本当に実行委員の仲間たちが精鋭部隊だったからできた。これもやっぱりチームなんです。組織ありきでメンバーを選んだわけじゃなくて、「あの人にこれをお願いしたい」というところから声をかけていったんで。北杜市のキーパーソンが手を組んでチームを作っていくと物凄くいいものができるんじゃないかと思っています。
三上 去年は天候に恵まれなかったのが残念でしたけど、来てくださった人の満足感は高いと感じています。
北原 告知期間も短かったので、集客自体は少なめでしたが、アンケートなんかを見ると満足度は非常に高い。イベントとして改善点はまだまだありますが、自分たちが「お客さんはこの地域にこういうものを求めてるんじゃないか」というものは間違っていなかった、認めてもらえたと感じています。今年は去年の反省点を踏まえてさらにブラッシュアップして、3回目には基本的な形を完成させたいと思っています。
三上 課題はありますよね。
北原 たとえば各拠点の連動性とかね。各酒蔵さんはそれぞれいいコンテンツを用意してくれて、満足もしてもらえたけど、連動性が低いからお客さんがスケジュールを立てづらかった。今年は「どこに行けば何ができる」というのを考えた上で全体のコンテンツを調整していきたいですね。それと、地元の人への対応。
三上 地元の人が参加しづらかったという声があったそうですね。
北原 そう。小淵沢駅を窓口にしていたんですけど、そうするとまず一度駅に行かないといけない。けど、地元の人は駅に行くために車が必要だったりするでしょう? 運転するとなるとお酒が飲めないし、駐車も大変。「SAKE GURUのバスは目の前を通っているのに参加できない」という環境になってしまった。だから、利便性、参加しやすさというのは絶対改善しなきゃいけない。あとは宿泊なんかももっと伸ばしたいですね。
三上 やりたいことはたくさんありますね。
北原 ありますよ! お酒というのをキーにして点をつなげるイベントですけど、各拠点ではお酒だけに限る必要性はないと思うんです。だから、やり方は無限大にある。実際、カンティフェアなんかもお酒を飲んでる人もいれば飲まない人もいて、でもみんなが楽しめる時間と空間がある。カンティフェアは一か所でやっているけど、あれを“面”でやるようなイメージが理想像です。この地域を知ってもらって、この地域の価値を上げるっていうのが僕のやりたいことなので。そのために僕らができることはなんなのか、というのを考えている。売り上げはあとから付いてきますよ。
お酒という手段で地域を知ってもらう
三上 亮庫さんのそういう地域に対する想いっていうのはいつくらいから生まれたんですか?
北原 やっぱり水なんですよ。水と向き合っていたときに考えるようになった。水があるから酒が造れてるわけでしょう? じゃあ、なんで水があるかっていうと管理がされているから。管理してるのは誰かといったら、地域住民じゃないか、と。そういうことを考えると、自分が酒造りをできるのはこの地域があるおかげなんです。そこにまず感謝しなきゃいけない。だから僕は「地域のために何ができるのか」ということや、「地域における酒蔵の役割ってなんなんだろう」というのを考えないといけないわけです。お酒を造っていればいいというわけじゃない。やっぱり酒蔵というものがハブみたいな機能を持って、地域のモノやコトを円滑にしていくという役割があると思うんです。
三上 水から人や地域に発想が向かうというのは面白いです。
北原 単純にいい水とかいい材料を手に入れようと思ったら、今は何でも手に入るじゃないですか。だけど、それは逆にいえば誰でもできちゃうことなんですよね。そう考えると、与えられた地域の産物からいかに美味しいものを創るかということの方が僕は大事だと思う。だから、今七賢では地域のお米を使うようにしているし、県産米でいえば95%の契約栽培でやらせていただいている。好適米としてのブランドでいえば、たとえば兵庫県の山田錦の方が一般的にいいとされていますが、それはどの酒蔵でも出来ることであって実はあまり味わいの差がないんですよ。それがダメだということではないですが与えられた環境のなかで自分がいかに酒造りにのぞんで、いい酒を造るという方が重要だと思うんです。
三上 ここにあることの意味ですよね。
北原 そう。だからこそ、地域も伝えていく必要がある。地域を伝えることによってお客さんが来てくれるわけです。そして、来てくれれば何かしら経済が動く。たとえば、ここでマルシェをやったりするのもそういう取り組みで、マルシェをやるとお酒を飲めない方でも来てくれる。近所の人たち、おばあちゃんとかがマルシェの日だけは来るわけです。おばあちゃんたちの社交場にもなる。そういう意味では、酒というのは一つの手段なんです。酒蔵がやるべきことの中核ではありますが、酒造りだけが酒蔵の役割ではありませんね。
三上 亮庫さんのお話って常にデザイン思考が入ってますよね。プロダクトに限らず、人や地域のつながりも含めて、デザインがきちんと考えられている。サンフランシスコに行ったときもみんなにデザイン思考が重要だといわれていたんですが、七賢さんはわかりやすい例だなって思います。
北原 デザイン思考というのも、つまりアートだと思うんですよね。世界的にアートの重要性というのが話題になってきてるでしょう? アートって五感、日々自分の感じる感情というのを咀嚼して自分で理解するということだと思うんです。たとえば、トレイルランニングとかをやっていて、ツラいというときにも「なぜツラいのか」「どうツラいのか」というのを考える。そのときの自分の感情の変化を自分で感じ取るわけです。それもアートだと思うんですよね。
三上 すごく参考になりました! 萌木の村も早く七賢のように存在感のある場所になりたいです。今日は本当にありがとうございました!