清里の成熟と大人の遊び心を持つフランク ミュラーの出会い
フランク ミュラー・茂木展生×コピーライター・清水宗己×舩木良 特別鼎談

今年の年明けから、あるサイトに萌木の村で撮影された写真を使った記事が掲載されました。そのサイトとは、高級腕時計で知られるフランク ミュラー。

FRANCK MULLER Experienceという記事連載のほか、バックス & ストラウスのダイヤモンドウォッチの紹介ページなどに使うため、清里が撮影場所として使われたんです。

この縁をつなげてくれたのは清水宗己さん。編集者、ライター、コピーライター、放送作家などさまざまな肩書きを持つ清水さんは、古くから萌木の村の舩木良とも交流があり、これまでもいろんな形で萌木の村と関わってくださっていました。今回の件も、清水さんの仕事のなかからつながったものです。

今回はこの出会いを記念して、清水さん、フランク ミュラーの茂木展生さんを迎え、舩木良と3人で話していただきました。フランク ミュラーというブランドの理念や魅力はもちろん、話題は清水さんらから見た清里、萌木の村の話にも……。

萌木の村自身がめざす姿を撮ってもらった

——清水さんと良さんは何年くらいの付き合いなんですか?

清水 20年くらい……もっとかな? 90年代の初めくらい。

清水宗己さん。

 じゃあもう30年近いですね。

清水 90年代の初めにエスクァイアという雑誌で山の特集をやったんです。そのときに京大の山岳会をはじめ、いろんな人を紹介してもらったんですけど、清里の人もいたんですね。その人と話をするなかで、清里に遊びに来るようになって、良さんも紹介してもらったんです。そうこうしているうちに、僕がラリーのオーガナイズをやることになって。そうすると、ラリー関係の人からも(ラリー選手でもある)良さんの名前が挙がるようになってくる。いろんな形でつながってきたんですね。

——その当時の良さんはどんな印象でしたか?

清水 当時からまったく変わらないですね。

 進化なし?

清水 いやいや(笑)。でも、うちの子どもにとっては良さんはROCKの人とかでなく、完全にラリーの人ですね。最初に知り合ったころ、スキーの帰りにROCKに寄ったら、小学校3年生くらいだったうちの子どもを、良さんがラリーカーの脇に乗せて思いっきり走ってくれて。

 やんちゃだったころですね。走る口実がほしくて(笑)。子どもたちを乗せると喜んでくれますから。

清水 映像でもお世話になりましたね。そのころ、NHKのドキュメンタリー番組にスタッフとして加わることになったんですが、その番組がいろいろ面白いことをやっている人を紹介する内容で。それで「そうだ、ROCKのビールを紹介しよう」と。

 うちがビールをはじめたのが1997年だから……

清水 ドキュメンタリーをやったのは2000年を過ぎたころですね。まだ当時は山田さん(八ヶ岳ブルワリー設立時の醸造長・山田一巳氏)がいらっしゃった。そんな感じで、良さんにときどき連絡しては何かとお世話になってきた。

 僕の方もラリーの会場とかいろんなところで清水さんのお名前を聞きましたね。早い話が腐れ縁ですね(笑)。

清水 良さんってすごく相談しやすいじゃないですか。本当にありがたいんですよ。今回のフランク ミュラーの件もそう。僕がやっている「FRANCK MULLER Experience」というウェブの連載で、ロケーションを考えていたときに萌木の村が思い浮かんだんです。清里にはすでに1度来ていたんですが、「萌木の村に来ればもっとシチュエーションがあるじゃないか」と気づいて、去年(2020年)の年末にお邪魔したんです。良さんって、そういうときにいろいろ無理をお願いできるんですよね。

 何も気を遣わず、すみません!

清水 いえいえ、とんでもない(笑)。

茂木 僕はそのとき良さんを紹介していただいて、初めて萌木の村に来たのですが、「日本じゃない」と思いました。いつの間にか外国に来てしまったような、ちょっと非現実的な感覚というか。

茂木展生さん。

清水 ちょうど雪でね。ハット・ウォールデンの雪景色はハマりましたよね。

 いやぁ、カメラマンってすごいなって思いましたよ。僕らは普段から見てる場所ですけど、写真で見て「え、ここってこんな場所だったのか」って思いましたから。ホールオブホールズの写真なんて、僕らにとっては最高に嬉しいものでした。「オルゴール館をこういうふうに見てくれているんだ」って。ある意味では僕らがめざす姿を撮ってくれたような写真だと思います。

今回の撮影で撮影された雪のハット・ウォールデン。

清水 ホール オブ ホールズはバックス & ストラウスの記事で撮らせてもらいました。フランク ミュラーは機械式時計でしょう? だから、メカニズムを体感するというテーマもあるんですね。で、オルゴールもメカニズムじゃないですか。しかも、ちょうどイギリス製のオルゴール用ディスクもあった。

茂木 バックス & ストラウスというのは1789年に創業した、ダイヤモンドでは最古のブランドです。イギリスで長い歴史があることから王室とも繋がりの深いブランドで、本国ではかなり認められています。そんなブランドが、ダイヤモンドを最も美しく見せるためにつくった時計なので、イギリスというのが記事のキーワードになっています。

 ジュエリーは山梨県の地場産業のひとつでもあるんですよ。甲府にジュエリーの専門学校があったり、宝石・貴金属の加工販売の業者がいっぱいある。だけど、全国的にはあまり知られていないんですよね。撮影のロケーションになるかわからないですけど、機会があればそういうところもご案内しますので。

茂木 何か面白いことができそうですよね。

趣味を仕事にすれば自分に嘘をつかないですむ

 茂木さんは日本で当時最年少でフランク ミュラーを買った人なんですよね?

舩木良。

茂木 94年のことですね。当時僕は23歳でした。

清水 フランク ミュラーはもともと独立時計師で、彼がブランドを立ち上げたのが1992年。

 ということは、ブランド立ち上げからまだ2年ほどで、日本ではまだまだ無名に近い時期ですよね。そのときにどう出会ったんですか?

茂木 もともと時計は好きで、大学生の時には別のブランドの時計がほしいと思っていました。当時ほしかったのは40万円くらいする時計で、大学生のバイトではなかなか買えない。だから、社会人になったら絶対買おうと思っていて、実際に22歳の時に初めてのボーナスでその時計を買いました。

 買ったんですか!

茂木 はい。でも、あんなに恋い焦がれていたのに、買ってみたら2か月ほどで飽きてしまって。

 ずっと憧れてたクラスで一番かわいい子と付き合ってみたら……みたいな話ですね(笑)。

茂木 (笑)。それで、自分のなかにモヤモヤした気持ちがありました。そんな時期に見た雑誌にフランク ミュラーの時計が載っているのを見かけました。陳腐な言い方ですが、それを見たときにビビビッと来て、「絶対これを買おう!」と思いました。調べてみると青山にお店があったので、いそいそとそこに行って。

 ハタチそこそこですよね。

茂木 はい。入るとまず「お名前とご住所をお書きください」と言われて、2階に通されました。もうそのときには汗びっしょりですよ。「場違いなところに来てしまった!」って(笑)。スタッフの人に説明してもらったのですが、もう説明なんて頭に入ってこない。とりあえずカタログだけもらって帰ったのですが、いただいたカタログを家で見て「やっぱりほしいな」と思いました。それで、そのあと何回か通って、結局その年の年末に購入しました。といっても、当時はまだお店には10本ほどのサンプルしかなくて、それを見てオーダーする形でしたが。半年ほどあとに納品でした。

この日は北杜市内にある「そば処 桜木乃舎」で話をしていただきました。

清水 いくらくらいだったんですか?

茂木 120万円ほど。

一同 おお〜。

茂木 社会人なりたてですからローンが通らなくて、親に泣きつきました(笑)。親も時計を買うというから20万円くらいかと思っていたら、120万円ですからね。でも、僕が昔から言い出したら聞かないのは知っていたし、サラ金に手を出されるくらいならということで貸してくれました。

清水 いい親御さんですねぇ。

茂木 それで、買ったあとに後に上司になるフランク ミュラーのスタッフに「うちの会社に来ないか」って声をかけられたのです。「君が日本の購入者で最年少だ。そんな若くて買うやつはいない」と(笑)。まだ社会人になって1年も経っていないころだったのですが、この仕事に携わってみたいなと思ってすぐにそれまでの会社を辞めてここに来ました。

 それから27年ですか。

茂木 はい。よく「趣味を仕事にするな」なんて言いますよね。仕事にするとイヤな面も見えてくるし、嫌いになるって。でも、好きなものを仕事にすると嘘をつかなくていい。ものを売るときに何か自分に嘘をつかないといけないとしたらツラいじゃないですか。それがフランク ミュラーならない。本当に胸を張ってオススメできるのがいいんです。

発想と作品が直結するフランク ミュラー

 買ったフランク ミュラーには飽きなかったんですか?

茂木 飽きなかったですねぇ。

 それってなんでなんですかね?

茂木 フランク ミュラーの時計って、工業製品ではあるのですが、人の手がたくさん入ってるんですよね。職人の手が入った工業製品なんです。しかも、フランク ミュラー自身がデザイナーでもあり、職人でもある。デザイナーは自由にデザインしても、いざつくるとなると職人は無難なところに落とし込んでしまったりする。でも、フランク ミュラーは自分が考えたデザインや機構を自分の手でつくりあげられる。発想と作品が直結しているということです。

 そういう工業製品ってなかなかないですよね。

茂木 それに、我々が生きている作家の作品を持つ機会ってあんまりないですよね。たいがいの場合、所有するにしても作家が亡くなったあとになってしまう。しかも、置物とかでなく、身につけるものでファッション性も高い。そういう満足感や喜びはほかのブランドにはないし、飽きないですね。

 僕は恥ずかしながら時計ってあまり知らなくて、最初にフランク ミュラーさんが撮影にって聞いたときも「すごい時計なんですね。高いんですよね」くらいのイメージだった。ようやくすごさがわかりはじめてきたところです。見せてもらったんですけど、変なのがたくさんあるんですよね、フランク ミュラーって。ルーレットが仕込んであったり、ボタンを押すと正しい時間が表示される時計があったり。

茂木 ルーレットはヴェガスですね。文字盤にルーレットの盤面が描かれていて、ボタンを押すとランダムでルーレットに針が止まる。時間表示の話はシークレット アワーズですか。この時計は、普段は12時の位置に針が止まっています。リュウズにあるボタンを押すと、針が動いて時間を表示します。

フランク ミュラーのヴェガスシリーズ。文字盤にルーレット盤があり、ボタンプッシュで実際に針が回って、ルーレットを楽しめる。

 天才というか、奇人の発想ですよね。

茂木 腕時計って1900年前後に生まれたものなので、その歴史はまだ120年ほどなのですが、1950年代にはすでに「あらゆる機能が出尽くした」と言われていました。フランク ミュラーはそんななか1990年代に現れて、毎年毎年世界初の機構を生み出していったんです。

清水 そこには機械式時計の復権の歴史もあるんですよ。もともと1970年代に一度機械式時計の技術を日本が駆逐してしまうんです。日本でクォーツ腕時計が生まれて、安くて正確だということで世界中を席巻した。結果、スイスの機械式時計はみんなダメになってしまったんです。その後、機械式時計のロマンが再評価されて、もう一度復活していったんですね。

 小さなムーヴメントだけど、小宇宙なんですよね。しかも、フランク ミュラーはそこにいろんな機構を組み込んでいる。

——良さんは車好きですよね。実用品であり、芸術品でもあるという点では時計と似た部分がありそうです。

茂木 僕らのお客様でも、時計はもちろんですが、カメラや車といった趣味を持つ人は多いです。いわゆる男の趣味ってそういう機械ものが多い。

 時計にハマらなくてよかったな、と思いますね(笑)。何千万もする時計もあるわけじゃないですか。でも、買う買わないというんじゃなく、いつかフランク ミュラーの時計が似合う人間になりたいなと思いましたね。僕にはまだ似合わないけど、これが似合うような人間になるというのが目標なんじゃないかって。

茂木 良さんはもうとっくに似合いますよ。

 いやいや、まだ軍手の方が似合います(笑)。

茂木 フランク ミュラーって大人の遊び心がある作品が多いんですよ。誰も発想出来ないアイデアでものづくりをしている。合うと思いますよ。車と違って維持費もかからないですから(笑)。車を10台持つと駐車場とかも必要ですけど、腕時計は10個あっても場所を取らない。

 いやぁ、とても買えない(笑)。でも、もしこれを持っていたら、死んだときに一番重要な形見として受け継ぐんだろうな、と思います。

清里の食とお酒はだんだんおいしくなっている

 似合うようにって意味では、ROCKや萌木の村もそうなんですよね。今回清水さんが文章を書いてくれたでしょう? すごくかっこよく書いてもらった。あれって僕らのめざしているリゾートの姿なんだなって思うんですよね。清水さんの書く文章に近づかないといけない。

清水 ストーリーを考えるときにROCKやハットウォールデンってすごくいい材料なんです。ハット・ウォールデンで飲んでいてどう思うか、良さんと話していてどう思うかというようなところからいろんな発想が生まれる。(萌木の村社長・舩木)上次さんにしたってふしぎじゃないですか。自分はお酒を一滴も飲めないのに、あんなにウイスキーをコレクションしてたり。ボーペイサージュのワインにも早いうちに気づいてストックしているでしょう?

 あれは(ボーペイサージュの)岡本(英史)さんがすごいんですよ。

清水 でも、そういうのも含めて清里は成熟してきたと思うんです。僕は清里に来るようになって30年くらい経つんですけど、食のレベルとお酒のレベルがじわじわ上がっていってるのを感じてます。清里のいろんなものが、だんだんおいしくなってくんですよ。もちろんずっとROCKがあって、僕もここに来たら必ず1回は寄るんですけど、ROCK以外にもいろんなお店ができて、年々レベルが上がっている。それは、ある程度の年齢になってここに移住してくる人とか、週末だけここで過ごすという人が増えてきたのもひとつの要因になっていると思います。そういう人たちってご飯がおいしくないと来ないですから。

——いろんな経験のある人が増えているわけですね。

清水 そういうことってほかのところでもあるんですよ。ニュージーランドがそうだった。ニュージーランドってヨット王国なんです。今人口が500万人ほど、20年ほど前は400万人に満たないくらいの小さな国なんですけど、国民の3人に1人が何らかの舟・ボートを持っているというくらいセーリングが盛んなんです。そのニュージーランドが、1995年にアメリカズカップというヨットの国際大会で優勝したんですね。その結果、次の2000年に行われた大会はニュージーランドのオークランドで開催されることになった。そうすると、だんだんその場所の食やワインのレベルが上がっていくんですよ。ニュージーランドってもともと季候もいいから食材がいいんです。ワインもまあまあ。でも、そこまでではなかった。そこにアメリカズカップに参加したり、見に来るアメリカ人やヨーロッパ人がやってくるようになる。彼らって食にうるさいんです。そうすると、食のレベルを上げざるを得ないんですね。僕も予選を含め、毎年見に行っていたんですけど、だんだんレベルが上がっていくのがわかるんです。すごく面白かった。ニュージーランドは2003年にカップを失って、食のレベルも一時停滞するんですけど、その後また上がっていきました。そういうのを見ていると、食やワインのレベルって大事だなって思いますね。

僕らは自分たちの本質を言葉にできていない

 清里も、ROCKを含め、食のレベルを少しずつでも上げていかないといけないですよね。そういう努力をしているうちに、多彩な趣味を持った人、いわゆる文化度が高い人たちも集まる場所になるんじゃないかと。そうなると、僕ら自身の文化度も必要になる。僕も今回の件があって、時計を見るようになりましたもん。フランク ミュラーを付けているお客さんはまだ見かけないですが、いつかそういう方に出会ったら「素敵な時計ですね」って言いたいなぁと。

茂木 それは絶対嬉しいと思います。

 銀座で買った方だったら「茂木さん、友だちです」って言いたいですね(笑)。

茂木 (笑)。僕らもROCKさんの50周年というときにご一緒できたのはすごく嬉しいことです。フランク ミュラーには「時をつくる」という理念があります。それは腕時計をつくるということでなく、あらゆる「時」をプロデュースしたいという意味です。だから、たとえばワイングラスをつくっていたりする。それは家に帰ってワインを飲む時間をプロデュースするということです。ほかにも、フランク ミュラー パティスリーでお菓子をつくっていたり、イスやテーブル、ソファといった家具をつくっていたりもする。人間が生きている時間をまるごとつくっているのですね。だから、50周年という「時」をお祝いさせていただけるのはすごく嬉しいです。

清水 僕も、良さんと出会った二十数年前から今日のためにじわりじわりと積み重ねていたような気がしないでもないんです。その間に清里そのものも変わってきた。かつてはタレントショップが並ぶような場所だったけど、今はそうじゃなくて、移り住んできた人を含め、成熟した雰囲気になっている。そこにはポール・ラッシュさんの影響も大きいと思うんですね。特に舩木ファミリーにはその影響がすごくいい形で残っている。清里って田舎なんだけど、どこか海外の雰囲気が漂うんですよね。舩木兄弟もそうで、その感覚がどこから来たのかって考えると、やっぱりポール・ラッシュさんなんじゃないかって。

 清里ってたぶんかつては悪い見本だったと思うんです。ブームになった当時、清里は軽井沢、上高地と並んで「3K」って呼ばれてたんです。僕らはそのとき、浮き足立ってしまった。そのときに、軽井沢や上高地のように自分たちの本質を見極めて、あるべき姿を見つけられればよかったんですよね。でも、「トップステージに立ったぜ!」って勘違いして、ただぬいぐるみなんかを売って日銭を稼いでいた。ブームが去ったあとも上高地や軽井沢はちゃんとポジションを築いているけど、清里は気づいたら置いてかれてしまっていた。

茂木 ROCKさんもですが、清里も色々な時代を経て成熟したのだと思います。

 でも、萌木の村はポール先生の影響もあって今日まで残ってこれたけど、まだ自分たちの本質を言葉にすることはできてないんですよね。そういうものをきちんと形にしないといけないと思っています。

萌木の村で撮影された写真を使った記事はこちら…

フランク ミュラー エクスペリエンス
https://franckmuller-japan.com/experience/pairwatch/lifestyle/0212/
バックス & ストラウス ロンドン
https://www.backesandstrauss.jp/storywodc/11/index.html

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