「ROCKに来たお客さんとチームみたいなつながりを作りたかった」
—ROCK50 年の歩み⑥輿水上

ROCKの歴代店長へインタビューをする、「ROCK50年の歩み」。前回は清水勝に話を伺った。カレーに欠かせないドレッシングの誕生秘話などを伺った。第6回目となる今回は、時系列順として田中実に話を伺う予定だったが連絡先不明のため、飛ばして輿水上に話を伺った。ROCKやお客様との「縁」、これからのROCKへの思いを伺った。

ROCKに来た縁

―ROCKで働くようになった経緯を教えてください。

 仲間とROCKへ遊びに来たときに当時ROCKの店長をしていた良さん(舩木良)と知り合いになって、良さんから誘われたのがきっかけでしたね。

元々、高校卒業後に山梨を出て、東京の印刷会社で4年間働いていたんだけど、田舎が恋しくなって山梨に戻ってからは地元の農業協同組合(以下、農協)で働いていたんです。それで、当時の農協は、仕事をしていると田舎特有の閉そく感があった。僕は「このままだとつまらない大人になる」って思ったんだよね。そんなときに、仲間とROCKと遊びに行ったんです。そこで良さんと知り合えた。それで「このままだとだめだから自分磨きで海外行きたいな」みたいな話を良さんにしたら、「じゃあ、週末だけでもいいからハットウォールデンで皿洗いでもしたらいい」って誘われて、最初は週末だけハットウォールデンで働いていたんです。そこで出会った人たちが農協にいた人たちと考え方が180度違っていた。それで、萌木の村で働きたいと思って、農協を辞めて萌木の村へ来て、ROCKで本格的に働き始めたんです。ちょうど、1986年ぐらいの頃かな。

―お誘いという偶然の形でROCKで働き始めたんですね、もし誘いがなければROCKで店長をされることもなかったんですね。

 当時、「ROCKに行けば何かがある」と思う人が多くて、僕自身もそう思っていた。「何か」というと例えば素敵な人との出会いとかね。ROCKは特別な場所で、「ROCKへ行こう」ってなるといつもよりちょっといい服を着て行った。ただ、「ROCKで働く」という流れになるなんて思いもしなかったな。奇遇というか縁だったんですけど、今思うと必然だったのかもしれないね。

―ROCKでの働き始めはどのような体制だったんですか?

 ROCKの正規スタッフは、店長の良さんと僕だけで、後はアルバイトだったんです。それで、驚いたのが初めての給料で給与明細を見たら「副店長手当」が付いていたんです。「僕はいきなり副店長ですか?」って良さんに聞いたら、「そういうことになっているから」って言われましたね(笑)。

―入社して最初から副店長だったんですね!それはびっくりしますね(笑)。副店長から店長までの期間はどれほどあったんですか?

 1年ほど副店長をしていたら、萌木の村内の異動ということで、当時店長をしていた良さんが異動されたので、そこからは僕が店長をしていました。大体4年ぐらいかな。店長をしていたときはバブル絶頂期の時で朝から晩まで働いたかな。

もちろん今でも親交がある輿水さんと良さん

お客様との縁

―店長時代の思い出について伺います。店長をしていて印象深い出来事はありますか?

 思い出といえば、僕はお客さんからいろいろ品物をいただくことが多かったな。ある東京のお客さんが格安で新品のスキー板を売ってくれたことが一番印象的だったね。スキー板やウエアを新調したいと思っていて、その話をいろんな人にしていたら、あるお客さんが「うちで買ってくれ」って売ってくれた。スキー場の人から靴のサイズを聞かれて答えたら、「じゃあ同じだ」って靴を安く譲ってくれたり、川上村のお客さんからウエアをプレゼントされたり。ほとんどお金がかからずスキーセットが一式そろったな。いつもどういう風にお返ししようと思っていたけど、つながりを持っていたいからお返しは特にいらないっていつも言われていた。品物をいただいてうれしいということもあるけど、何よりも「お客様とつながりを持てる」ということが嬉しかったね。

お客さん同士でつながることもあった。例えば、八王子からよく来ていたあるお客さんは、交際相手が見つかって「付き合い始めました」って報告してくれたし、その2年後くらいに「実は結婚しました」って知らせてくれたね。ちょうどその頃、品川からのお客さんも来るようになって、2人は時々ROCKで鉢合わせになるような感じだった。それで2人は次第に、ROCKだけじゃなくて東京で会うようになっていった。それぞれの結婚を機にお互い疎遠になってしまうけども、ROCKには相変わらず来てくれた。それぞれのタイミングでROCKに来て、お互いが「どんな様子ですかね」って話を僕を介して情報を知るような感じだった。お客さん同士で仲良くなっていくなんてこともあったね。

―輿水さんやROCKとお客さんの縁、お客さん同士の縁がROCKで生まれていったんですね。店長をしていく中で、日頃気をつけてたことはありますか。

 あるきっかけを経て「どうお客さんに喜んでもらうか」を日々考えていました。店長をしていた当初は効率ばかり考えていました。僕が店長をしていたときは、僕を入れて4人しかスタッフがいなかった。当時はスキーブームで、夕方になるとスキー客がどっと押し寄せて、4人じゃどうにも回らないことが多くて、ハットウォールデンのスタッフに応援に来てもらって回していた。

僕以外の3人のスタッフの中にイワタサチコさんという方がいたんだ。かわいいんけど少しどんくさいところがあって、忙しいときもマイペースで接客していた。接客業で忙しいときにゆっくりしていることはだめだって思っていたから内心「早くしろよ」と思うこともあった。でも、その子を目当てに来るお客さんが多かったの。僕は「どうしてなんだろう」っていつも見ていた。その子をよく見ていると、ものすごく丁寧に接客をしてたんだよね。効率ばかり考えていた僕には頭をハンマーで殴られるぐらいの衝撃でしたね。「お客様第一」にどうしたら喜んでもらえるか考えなきゃいけないって。イワタサチコさんにはお客さんに接する原点を教えてもらいました。そのことに気づいてからはサービス業が楽しくなりましたね。そこからお客さんと「つながる」機会が増えましたね。

ーちなみに、輿水さんは現在もサービス業に関わってらっしゃるんですか。

 今は、萌木の村のすぐ近くのプチホテル&レストラン「オールドエイジ」で支配人として働いている。現在の接客もROCKでの経験がベースとなっていて、お客様とのつながりを大事にしています。毎年のように来てくれる常連さんとの他愛もないお話や手紙のやり取りなんかに楽しさややりがいを感じますね。

―「お客様第一」はよく言われることですが、やっぱり大事なんですね。お客様を大事にするからこそ、長く愛されるということなんでしょうね。店長になられて、お客さんを大切にしなきゃいけないという気づきはありましたが、他にも心がけた点などありますか?

 僕がROCKにいた頃は、ちょうど萌木の村が会社としてスタートしたばかりの時だった。店長会議の中で、「それぞれ何を売りにするか」という議題で話し合った。ハットウォールデンやホールオブホールズとかは、接客だとかオルゴールを売りにしますって言ってたけど、僕は「ROCKは人を売りにします」って言いましたし、それを心がけましたね。サービス業でそこに働く人を売りにできなかったら何が売りになるのっていう風に思っていたね。もちろん、会社として目に見えるものを作らなきゃいけないという葛藤はありましたけどね。僕自身は飲食業で修行したわけじゃないからすごくおいしい料理を作れる技術はなくて、新しい料理を考案することはできない。だったら、人を売りにするしかないなって思うようになったの。

―ROCKで働く人を売りにするっていう考え方はユニークですね。先ほど、「お客さんをどう喜ばすかを考えるようになってからサービス業が楽しくなった」とおっしゃっていましたが、店長時代に楽しかったことは何かありますか。

 僕が店長だったときに「ROCK通信」を始めたんだよね。年に4回ぐらいの頻度だったんだけど、A3かB4ぐらいの大きさの紙にイベント情報だったり、お客さんから聞いた話を掲載していたね。原稿は僕が書いたけど、字が汚いからアルバイトの人に清書をお願いして、それを印刷してROCKの入り口に置いたり、何人かには郵送したりしましたね。そうした企画を通して、ROCKに来たお客さんとチームみたいなつながりを作りたかった。だんだん広がればと思ったけど、思うようには広がらなかったな。

―つながりの仕組みは、今のSNSと同じように思えますね。

 そうだね。そういえばお客さんとのつながりといえば、上次さん(舩木上次)からはお客さん宛てに「手紙を出せ」って言われていた。上次さんはマメで、海外に行ったときは行った先で何百通も手紙を出していたね。文面はさまざまだけど、中には「みんな元気?俺元気」みたいな短いものがあったりした(笑)。上次さんはお客さんからいただいた返信とかの手紙の数で給料のボーナスを決めようかなんて言っていたときもあった。結局やらなかったけど、そういう発想ができるのは上次さんらしいなと思ったね。

手紙関係では、お客さんに手紙というかはがきをよく出していた。「このはがきを持ってこられたらROCKでお茶をサービスします」って。お茶というのは、オレンジキュラソーとザラメをお湯で割ったものなんですけどね。そうしたことをしていましたね。

舩木上次への思い

―今、舩木上次さんのお名前が出てきましたが、輿水さんから見て舩木上次さんはどのような方ですか?

 上次さんはね、「夢を膨らませる、夢持たせてくれる人」だと思う。上次さんが自分の夢を作って実践する姿を見せて、僕たちも何かできるんじゃないかと思える。同じように何か夢を持った僕たちに対してアドバイスやチャンスをくれる人だね。そういう人はなかなかいない、かけがえのない人だと思う。

実は、僕の親父はもともと僕がROCKで働くことに反対していたんだよね。当時、ROCKに対して「水商売」と思っていてあまり良いイメージを持っていなかったんだ。親だからいろいろ気にしていたんだと思う。でも、あるとき上次さんがNHKの取材を受けて、ホールオブホールズを紹介するシーンがテレビで放送されたことがあったの。そのとき上次さんは、「ホールオブホールズのオルゴールの音色を皆さんに届けたい、清里でいいものに触れて楽しく過ごしてください」って夢を語っていたの。その様子を見た親父が「おまえ、いい人に出会えたな」って後押しをしてくれたんだよね。そう言ってくれたのは父が病気で余命わずかの時だった。すごく今も覚えている。

―ROCKで働き始めた頃は家族からの反対もあったんですね。夢を語る上次さんが家族の考えを変えてくれたんですね。上次さんとの思い出は何かありますか?

 上次さんが清里観光協会の会長の時に、事務局をやらせてもらっていた頃の話なんだけど、いろんな所に連れて行ってもらって、いろんな人に会わせていただいたことが思い出に残っているな。自分よりも遙かに上の存在、なかなか会えないような人に会わせてもらった。そういう人たちと対等に渡り合う上次さんのつながりというか人間関係を作るうまさはすごいなと思った。さっきも言ったけど、手紙を出すマメさがあってそうした積み重ねがあったからつながりというか人間関係を作っていったんだろうな。貴重な経験をさせてもらったから今でも上次さんには頭が上がらないよ。

 

これからのROCK、これからの自分

―ROCKがこれからも多くのお客様とつながり、縁を作っていくために、こうして欲しいと思うことは何かありますか。

「あいさつ」かな。今のROCKは、お店も大きくなって人気もあってとても忙しいけど、できたら、来たお客さんに対して目を見て「いらっしゃいませ」と言うことを心がけて欲しいかな。コンビニとかでたまにあるかもしれないけど、誰かがいらっしゃいませと言ったら、お客さんの方を見ないでそのあとにいらっしゃいませっていうのじゃなくて。例えば、誰か一人入り口にずっと立ってて、お客さん1人1人にいらっしゃいませっていうだけでもお店の雰囲気は変わると思う。そのスタッフのファンになって、その子目当てに会いに来る人ができるかもしれないよ。

―あいさつはとても大事ですよね。お客さんの立場で考えたときに、こちらを向いて「いらっしゃいませ」と言われると心から迎えられていると思ってとても心地いいですよね。輿水さんはこれからのROCKとこういう風に関わりたいという思いはありますか?

 僕は来年で還暦を迎えるんだけど、僕もいつか第1線を退く。そうなったときに、今まで経験したことを今働く人たちにヒントとして何か残したいなと思っています。そういう意味ではROCK50周年のこの企画で取材を受けられたのも、巡り巡って縁だなって思う。

あとこれは笑い話だけど、人生最後の日に何かしたいことがありますかって言われたら、もう一度ROCKのエプロンを着けて「いらっしゃいませ」って言って終わりたいなと思うよ(笑)。それだけROCKで教えられたことは、僕にとって大きかったな。ROCKありがとう、上次さんありがとうという思いだね。

―すごい人生設計ですね(笑)。今日はいろいろお話を聞かせていただいてありがとうございました。

 

【編集後記】

第6回目は、輿水上に取材をした。人、お店などさまざまな縁があり、ROCKの店長をやってこれたとのこと。今後のROCKに望むこととして「あいさつ」を挙げたことから、ROCKの基本として「お客様を第一に。お客様を喜ばせること」を考えていることが分かる。今回、予定では田中実に取材予定だったが連絡先が不明のため取材ができなかった。もしご存じの方がいれば、ROCKまでお知らせください。

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