県外やときには海外から来た人も働くROCKですが、もちろんこの土地で育った人もたくさんいます。ホールスタッフの谷口愛美もそんなひとり。
彼女のおうちは清里で休養(短期/長期)・競技会などを引退した馬たちを預かることを専門とした谷口牧場を営んでいます。そこで働きながら、牧場の仕事が終わったあとROCKでも働いているんです。
馬の文化を学ぶためにアイルランドに渡ったり、アクティブに活動する彼女は改めて今清里という場所に魅力を感じているそうです。今回はそんな彼女に話を聞きました。
昼は牧場、夜はROCKで働く生活
——谷口さんは実家が馬の牧場をやっていて、その仕事をしながらROCKでも働いているんですよね? ROCKで働きはじめたきっかけは何だったんですか?
最初は(舩木)剛さん(舩木上次の長男)に誘われて、萌木の村のナチュラルガーデンカフェで働きはじめたんです。私の両親が舩木家と長い付き合いだったので、私も萌木の村やROCKは馴染みがあったし、剛さんも何となく知っていたんです。そのときはゴールデンウィークか何かの連休シーズンだったんですが、それが終わったあとも「これからも夜ROCKに入ったら?」って誘われて働くようになったんです。それはいつごろだったっけな? 高校は卒業していて、家の仕事をしていたのは覚えてるんですけど……6〜7年くらい前ですかね。
——牧場での仕事はどういう感じなんですか?
ひとくちに馬の牧場といってもいろいろだと思いますけど、うちは預託っていっていろんな方の馬を預かっているんです。引退した競走馬なんかもいます。そのお世話をするのが仕事です。だいたい朝6時に「飼い付け」っていって、エサをあげます。それから厩舎なんかを掃除するんですが、それで午前中いっぱいかかったりしますね。午後は放牧したり、運動が必要な馬に運動をさせたり、いろいろやって、夕方もう1度飼い付け。だいたい18時過ぎくらいに終わるので、それからROCKで働いてます。
——ハードワークじゃないですか。
牧場で生まれ育ったので仕事が生活の一部になっていたし、大変でもあるけどこの生活が好きなんですよね。小さいころから馬の仕事をしたいっていってましたし。
——にしても、1日働いたあとさらにROCKで働いてるんですよね?
体力もありますし、そこはそんなに。リズムができちゃえばそれほど大変じゃないです。むしろ都合よく働かせてもらってます(笑)。
——どうせ夜暇なら働きたいという感じですか?
そうですね。
牧場に着いた瞬間「ケガしてるやつはいらない」
——じゃあ、もうROCKでも長いんですね。
といっても、途中お休みしたりもしてるんです。23歳のときに1年半くらいアイルランドに行っているので。
——アイルランドですか。それは馬の関係で?
そうです。馬の仕事をしたり勉強したりしようと思って。本当はイギリスに行こうと思っていたんですけど、イギリスって人気があってビザが取りづらいんです。抽選になっちゃう。だから、ほかに馬文化が有名なところでビザが取りやすいところと考えて、アイルランドにしたんです。アイルランドに行って、働かせてもらえる牧場を探したんですが、たまたま見つけたのが狐狩りをやっているところで。
——狐狩りってどういうものなんですか?
犬を使って狐を狩るんですけど、それを馬に乗って人が追っていくんです。狐狩り自体はイギリス発祥といわれているんですけど、イギリスを含めアイルランド以外では実際に狐を狩るのは禁止されちゃって。本当にハンティングできるのはアイルランドだけなんですよ。で、それをやっている牧場ということでオーナーのオリバーって人に直接連絡を取ったんです。
——面白いですね。
実はその牧場に行く直前まで、競走馬の牧場で働いていたんですが、最終日にミスで足をケガしてしまって。でも、アイルランドでほかに行くところもないから、荷物を抱えて足を引きずりながら牧場に行ったんですね。それでノックしたらオリバーが出てきたんですけど、一目見て「足を引きずってるやつなんていらない」って。もともとオリバーは人と馬を見る目がすごいといわれてる人で、気に入らない人は半日で帰しちゃうようなタイプなんです。でも、私も行くところがないから(笑)、「一週間だけでいいからトライさせてほしい」って頼み込んで置いてもらったんです。
——おおー。
新しく学ぶことも多かったですが、基本的な馬の扱い方はわかっているし、とにかくほかのスタッフがやっていることを見て、できることをやって、オフの時間がないようにしたんです。そうしたら1週間くらい経ったとき、オリバーが「コーヒー飲む?」って聞いてきたんです。オリバーが自分からコーヒーや紅茶を出すのは特別な相手だけなんですね。だから、そのとき「あ、私認められたのかな?」って思って。それで「働いていい?」って聞いたらガッツポーズしてくれたんです。それから結局そこで1年以上働いて、もともとの予定より滞在を延ばして1年半くらいアイルランドにいました。
馬と人間の関係が近いアイルランド
——日本だと馬の牧場というと観光牧場みたいなところのイメージが強いんですが、アイルランドってどういうものなんですか?
いろいろありますけど、日本とは全然違いますね。観光牧場みたいなところは少なかったかな。オリバーの牧場の場合は、来たお客さんにクロスカントリーのレッスンをしたり、冬になると狐狩りをしたりしていましたね。冬は毎週末ハンティングがあって、狐狩りに来たお客さんに馬を貸して、その面倒を見たりしていました。馬の売買なんかもしていましたね。
——狐狩りって初めて知ったんですけど、こんなに大人数でやるものなんですね。
そう。犬に狐を追わせるんですけど、その指示を出すのがハンツマン。ハンツマンをサポートするウィップスと呼ばれる人がだいたい2人、さらにフィールドマスターっていわれる人が数人います。あとは基本的にそれについていく人ですが、日によっては50頭とか70頭もの馬と人がついていくんです。その人たちは狐を狙った方向に進ませるために並んで音を出して威嚇したりってことはやりますね。
——狐を追うコースがあったりするわけじゃないんですね。
実際に狐を追っていくので、どこに行くか決まっているわけじゃないんです。フィールドの地主さんには許可を取っているんですけど、どこに行くかわからないし、ほぼ石垣や茂み、小川みたいなところを跳び越えたりしないといけない。
——面白いですね! スポーツ的なハンティングという感じなんですか?
今はそうですね。もともとは貴族の舞踏会前の余興みたいな感じだったようです。歴史も長いから、徐々に形を変えて残っていったんです。イギリスなんかの場合は禁止になって、ドラッグハントっていって匂いを追っていくだけになっています。だから、アイルランドで実際に犬を使った狩りを見たときは感動しました。タイムスリップしたみたいな気分で。
——馬の文化自体が日本とはかなり違いそうですね。
そうですね。アイルランドって生活のなかに馬がいるのが割と普通なんです。日本だと馬って遠い存在で、割とお金持ちの人が触れる存在というイメージですけど、向こうではそういうわけじゃなくて。お金持ちじゃなくても、年齢も性別も関係なくハンティングに行ったりしているんですね。そういう意味では、すごく制限がないスポーツなんです、馬って。
——人と馬の関係が近いんですね。
それは感じました。アイルランドは田舎なので馬を持っている人もたくさんいた。土地があるから、あんまり生活の負担にならないんですよ。世話に必要な飼料にしても馬具なんかにしてもみんな安い。日本の2分の1とか3分の1くらいで売ってたと思います。馬着っていう冬に馬に着せる服みたいなものなんか、スーパーで売っていたりしましたから。馬がすごく身近な存在なんです。
——ハンティングみたいな文化もあるわけですもんね。自然に文化や暮らしの一部になっている。
馬に限らずハンティングならではの文化もいろいろあります。たとえばハンティングの犬は「ドッグ」とは呼ばないんです。犬じゃなく、獲物を追うという任務を持った「ハウンズ」なんだ、と。
——向こうは猟犬として育てられた犬種も多いですもんね。
そうそう。人間に対してもフレンドリーだし、犬同士で面倒を見る。オリバーに「猟犬ってどうやってトレーニングするの?」って聞いたことがあるんですけど、「犬同士が教えてるから、僕は何も教えなくていい」っていうんです。先輩が後輩に教えるみたいに、犬同士で教えてくれちゃうんだそうです。
海外の魅力を感じながらも、ホームは清里
——そういうところで暮らしてやっぱりいろいろ変わりましたか?
乗る技術自体はすごく上がりました。ただ、うちの牧場とオリバーの牧場ではスタイルも役目も全然違うので、直接それが活かせるというわけではなかったりしますが(笑)。ただ、清里に戻ってきて「やっぱりここが自分のホームだ」って改めて感じました。
——海外は落ち着かなかった?
そういうわけじゃないです。むしろ、向こうではアイルランドを拠点にしていろんな国に行ったんですね。魅力的な場所はすごくたくさんあって、「ここに住みたい!」って思う街もありました。特にイギリスなんかは日本で失われてしまったものを大事にしているなって感じて、すごく惹かれました。
——イギリスのどういうところですか?
イギリス人って自分たちの国や国民をすごく大事に思ってるんです。景観とか美や生活に対する意識もすごく高い。
——確かに伝統や格式を大事にする国ってイメージはありますね。
そうそう。どこからも影響を受けない、古いものを大事にするという意識が強い。日本人って便利さだけを追求しちゃったところがあると思うんです。安いとか便利ってことばかり追い求めて、古いものを大事にしてこなかった。だから、田舎なんかに来て景色を見ても、統一感がなかったりするでしょう?
——昔からの景色が街並みとして残っているところはほとんどないですもんね。新しい建物が建ったり、「古い街」といってもせいぜい50年くらい前の建物が並ぶくらい。街並みとしてイメージが統一されているのは京都くらいでしょうか?
そうそう。自然災害が多い土地柄も影響しているんでしょうけど、それにしても「日本人のスタイル」みたいなものがなくなりすぎている。ヨーロッパではオランダなんかも面白かったですけど、イギリスは特に自分たちのスタイルがハッキリしているように感じました。ロンドンにしても、田舎の街にしてもレベルが高い。
——だけど、戻ってくるとホームは清里だと感じた。
そうなんです。やっぱり八ヶ岳は八ヶ岳で魅力がすごくある。私はここで生まれ育ったから特に感じるのかもしれないですが、「ここがホームなんだ」っていうのを強く感じました。清里で育たなかったら日本は出て行ったんじゃないかと思います。
——改めて感じたこの土地の魅力ってどんなところなんですか?
環境もですけど、一番大きいのは人の魅力ですかね。最近すごく感じたのは、この場所から自分が受けた影響です。もちろん生まれ持ったものとか親から受け継いだ先天的なものもあると思うんですけど、私の持っている価値観や感性って、清里の開拓者を含めてここで頑張ってきた人たちの影響がすごく大きいんだなって。(萌木の村の)舩木社長ももちろんそのひとりです。ROCKが火事になったとき、私はアイルランドにいたんですけど、様子を見に行った友だちから電話がかかってきたんですね。「今屋根が落ちちゃった」っていわれて、私も友だちもすごく泣いて。そのとき思ったんです。「あ、ROCKって自分にとって誇りに思える場所だったんだ」って。自分が働いていたからというわけじゃなく、地域のひとりとしてすごく大事に思える場所だったんだ、と。
土地の文化をつくるのは人やコミュニティ
——そういうこともあって、帰ってきてからはまたROCKでも働いているんですね。
はい。また夜だけですけど。
——やっぱりROCKで働くのって楽しいんですか?
楽しいですね。私の場合は接客がっていうより、ここで働いている人が楽しかったり、牧場での仕事の息抜きになっている部分もあると思います。牧場とは全然違う仕事なので。サービスって、常にお客さんのことを見て次の次まで考えながら動かないといけないじゃないですか。身体も頭もフル回転でやっているから面白いのかも。
——それって性格ですよね。話を聞いていても、スケジュールに空きがあるのがイヤなタイプじゃないですか?
イヤですね(笑)。予定がなくて時間を持て余すのはイヤなので、絶対何かやってます。予定立てるのもすごく好きで、3か月先とかまでスケジュールを立てたくなる。特に遊びにはめいっぱい力を入れちゃいます(笑)。
——これだけ働いていてまだ遊ぶ余裕あるんですか?
仕事が終わったあとに遊びに行ったりもしますよ。0時くらいにお店を閉めたあと、ROCKのスタッフと「これから茅ヶ岳行く?」とか言い出して、3時くらいに迎えに来てもらって山に行って帰ってきて牧場の仕事したり(笑)。遊び人なんです。
——遊びに行くのはアウトドアが多いんですか?
そうですね。山登り自体も月1回は行ってますし。ほとんどは日帰りで、泊まりでの登山は1年に1回くらいですけど。お昼ご飯でピクニックしようかっていって山に入ったりすることもあります。
——お気に入りの場所ってありますか?
いっぱいあります……けど、私そういう場所は自分だけの場所にしておきたいんで秘密です(笑)。誰かが遊びに来てくれたり、興味を持って会いに来てくれたとき、こっそり連れて行くんです。見せたい場所とか会わせたい人のところに。そういうふうに清里の魅力を伝えていく存在になりたいなって思ってます。「清里って面白いところだな」って思ってもらえるように。
——そういう人が何人かいるだけで地域が変わっていきますよね。
やっぱり土地の文化や個性って、行政とかメディアみたいなもので決まらないと思うんですね。そういうものって結局住んでいる人やそのコミュニティが育むものだと思うんです。萌木の村がやっていることもそういうことで、だから私自身すごく影響を受けてる。清里って歴史が浅い分、開拓時代の文化や思想が人を通して残っているし、そこが面白いところだと思っています。社長(舩木上次)や(舩木)良さん、(舩木)淳さんをはじめ、ROCKの人たちは私にすごく影響を与えてくれているし、感謝してます。そうやって生まれた感性や、清里らしさみたいなものがもっと根付いて広がっていくといいなと思っています。