「僕らは集客装置だから大儲けする必要はないって割り切ってもいるんです」
白馬観光開発・和田寛さん×萌木の村・三上浩太

山やスキー場、豊かな自然といったさまざまな資源に恵まれた八ヶ岳南麓。ですが、こうした資源を持つ地域は八ヶ岳だけではありません。

そんななかで、近い環境を持ち、集客を伸ばしているところがあります。長野県の白馬村です。市場が縮小傾向にあるスキーを軸にしながら年々集客を増加させ、地域としても新たな形を提示しています。

今回は、そんな現在の白馬の取り組みをリードしている白馬観光開発株式会社の代表取締役・和田寛さんにお越しいただき、萌木の村取締役・三上浩太が地域づくりについて話を聞きました。

「役所の仕事って大丈夫なのかな?」

三上 和田さんはすでにいろんなところでインタビューに答えているので、経歴などをご存知の方も多いとは思うんですが、改めて白馬に行った経緯からお話をうかがえますか。

和田 そうですね。僕は大学が法学部で、親父が官僚だったりもしたので、何となく官僚になるのかなって思っていました。そもそもは小さい頃から人の役に立つ仕事をしている人がかっこいいなって思っていたんです。じゃあ人の役に立つってどういうことだろうって考えると、「自分が好きなフィールドに関わる人の生活が良くなったり、自分が何かすることでその人たちがハッピーになる」ってことなんじゃないか、と。大学時代はアメフトをやっていたので離れてしまっていたんですが、僕はもともとスキーや山登りが好きだったんですね。山登りは小学生くらいから初めて、大学時代も部活の傍らで登っていたりした。生まれも育ちも東京なんですけど、日本の田舎や自然が心落ち着く場所だったんです。そう考えていくと、官公庁でいったら農水省や環境庁だろうということで、大学卒業後、農水省に入省しました。

三上 それが2000年ですね。

白馬観光開発株式会社代表取締役・和田寛さん

和田 そうです。で、そのころちょうど、当時の高根町(現山梨県北杜市の高根町エリア)から出向で農水省に来ていた方や四国の四万十から来た方がいて、いっしょに研修を受けたりしながら、いろいろと田舎の話を聞いたんです。田舎の話を直接聞くっていうのはそのときが初めての経験で、いろいろと大変だけど面白い仕事なんだろうなって感じました。

三上 2000年ごろというと、地方はかなり厳しい状況になっているところも多い時期ですよね。

和田 そうですね。バブルがはじけて10年くらい経って、お金も回らなくなっていた。小泉政権が成立するのが2001年なんですが、当時「公共事業は悪だ」という風潮が強くなっていて、田舎にお金を落とすんじゃなくて、日本は都会で頑張って金を稼げばいいじゃないみたいな論調がけっこうあったと思います。でも、僕はそうは思っていなくて、東京にいてもどこか息苦しさを感じてたんです。そんな時期に地方で頑張っている人たちと出会ったわけです。実は(萌木の村社長の舩木)上次さんともそのころに初めてお会いしているんです。自分で直接いろんなことをやって、田舎にカツを入れるような仕事をやっているでしょう? だから、上次さんの話や仕事ぶりは強烈に印象に残っています。何となく全体的に元気がない時期だけど、元気な人たちもいるんだって。それは僕の職業人生的には原点のひとつになっている。だから、自分もいずれ現場に近いところで働きたいなと思うようになっていったんです。

三上 農水省時代はどんな仕事をしていたんですか?

和田 それが、自分の思いとは裏腹に「世の中にインパクトを与える」その手前みたいな仕事が多かったんです。一番わかりやすいところでいえば諫早湾の干拓。僕は農業関連の公共事業担当部局の取りまとめ部署にいたんですが、現場には行けない。だけど、いろんなところで火を噴いているから国会議員の先生と調整はしなきゃいけない。それって本当に世の中の役に立っているのか、わからなかった。そのあと起こったBSE問題を受けた組織改正をやったり、間接的に問題に関わるようなことが多かったんですね。役所にいるとどうしてもそういう仕事が多くなって、直裁にいえば「役所のための仕事みたいなことばっかりで大丈夫なのかな」って気持ちでした。一方で上次さんのように直接地域を変えていくような仕事の仕方をしている人もいるわけじゃないですか。自分の原点を考えると、どっちが本当に人の役に立つのかわからなくなった。

潜在的ニーズを感じていた白馬との出会い

和田 それと、役所にいるとビジネスの感覚もなかなか身につかないんです。農業って「業」、つまり英語で言ったら「Industry(産業)」とか「Business」でしょう? 結局農業を良くしないと農家は良くならないし、農家が良くならなければ地方も良くならない。そういう感覚がある一方で、役所にいるとほとんどBS(貸借対照表)もPL(損益計算書)も読めない状態のままなんです。いくら本を読んでもよくわからなかったし、ここにいても身につかないなって思ったんです。それでビジネスの観点から田舎を良くする方法を考えられる人間になるために、MBAを取りに行ったんですけど、それでもわかりきれなかった。しかも、戻ってきてそういう仕事をやりたいといってもなかなかできない。それで2008年に「いったんビジネスの勉強をしてきます!」って農水省を辞めたんです。

三上 それでコンサルティング会社へ転職したわけですね。

和田 はい。外資系のコンサル会社で、いろんなお客さんのいろんなビジネスの課題を短期間で「えいっ!」とやるような仕事でした。コンサルティングの料金もかなりの金額だったので、こっちも緊張感を持ってアウトプットしないといけない。そういう環境もいいなと思って。実際やってみても面白かったです。当たり前ですが、当たり前ですよね、上場企業の社長さんが頭を悩ませているような課題をいっしょに考えられるわけですから。いろんなところからデータを持ってきて分析してみたり、別のところからノウハウを持ってきてその会社に合うようにアレンジしてみたりと、数か月でプランを決めていったん実行に持っていく。そうやって1年くらいのスパンでいろんな会社さんと付き合っていくんです。そのサイクルが自分に合っていた。そして、実務を通して勉強にもなりました。それでなんだかんだで6年半くらいその会社にいました。

三上 けっこう長くいたんですね。

和田 そういうコンサル会社って平均すると2〜3年で退職する人が普通なので、“長居”しちゃったなって感覚もありました。同時に、高いフィーをもらう会社であるがゆえに、地方の会社さんからの依頼が皆無なんです。ほとんどが東京、あっても名古屋とかそのあたり。もともと僕が思っていた日本の田舎を元気にしたいとか、スキーや山への思いは消えたわけじゃなくて。田舎を元気にするためにビジネスの修行をしてるんだよなって感覚はずっとあった。だけど、実際にマッチングする機会はなくて、「どうしようどうしよう」って悩んでいた6年半でもありました。

三上浩太。

三上 白馬の会社に行くことにしたきっかけはなんだったんですか?

和田 在職中もまったくジョブサーチをしていなかったわけじゃなくて、求人サイトはちょくちょく見ていたんです。そんなときにたまたまスキー場の再生会社というものが世の中にあるんだっていうのを知ったんです。その中でも白馬はもともと気になっていた地域でいつか携わるならこういうエリアで仕事をしたいと思っていたんです。コンサルの後半くらいの時期って娘も少し大きくなって、娘をスキーに連れて行くようになっていたんです。正確には「連れて行く」という名義で自分が滑りに行っていた感じですが(笑)。

三上 久しぶりにまたスキーをやるようになったんですね。

和田 そうです。10年くらいブランクがあったのかな? そうやっていろんなスキー場を回るようになって感じたのは、思った以上に元気がないってこと。僕が一番スキーをやっていたのは1995年頃なんですが、1998年がスキー市場のピークなので、まさに華やかなりしころなんですね。でも、データを見るとわかるんですが、その後マーケットは3分の1くらいになっている。まさにそのマーケット縮小の時期にスキーをやっていなかったので、すごくギャップがあったんです。お客さんが減って、施設も老朽化するなかで、しっかりビジネスができているところはなかなかなくて、サービスも決していいとはいえない。これは現在のうちもまだまだそうですが。そのなかで、「もうちょっとビジネスとかマーケティングとかまともにやれば多少はうまくいくのかな」って感覚はちょっとずつ覚えるようになっていたんです。特に白馬はそうだった。滑りに行くと、意外と外国人が多くなっていたんです。外国人が増え始めているんだけど、その割に接客レベルは高くない。つまり、サプライサイドがきちんとできていないけれど、ポテンシャルや潜在的なニーズはあるんだろうな、と。そんなことを考えているときに白馬を含むいくつかのスキー場を保有するスキー場再生会社、今の会社の求人があったので、「これだったら自分の思いとマッチするだろう」ということで応募したんです。

「実利を出せる人」として地域に認められる

三上 実際に行ってみてどうでしたか?

和田 最初数年はやっぱりそんなに……外から見て「これやればいいよね」って思ってたほど簡単でもなかったし、施設も想像以上に古くなっていました。しかも、思った以上に稼げてないです。年々お客さんが減ってるとは思ってなかったんだけど、減ってたんですよね。本当はそういう現実はもうちょっとしっかり理解して転職すべきなんですけど。だって、僕、コンサル会社のときはお客さんが会社を買うか買わないかってときに「ビジネスはこれからこうですよ」「マーケットはこうですよ」って説明する立場だったわけですから。自分の転職のときはそういうことをまったくしなかった(笑)。

三上 すごい(笑)。

和田 「俺、スキー好きだし大丈夫だろ」みたいな(笑)。そうやって飛び込んでみたら、思った以上の現実もあったし、急に田舎に来ても「誰、この人?」って感じでもあった。

三上 そうですよね。最初はどういうポジションだったんですか?

和田 最初は経営企画担当みたいな感じでしたね。とはいっても、問題がありそうなところがあれば何でもやるし、何でもやらせてもらっていました。イベントを仕掛けたり、マーケティングをやったり。

三上 会社の人とか地元の人に認められたと感じたきっかけってあったりしますか?

和田 うーん、内部でいったらあるときの年末年始とかですかね。僕らは年末年始が忙しくて人が足りなくなるから現場に行くんですよ。で、スキー場にケンタッキーフライドチキンが入ってるんですけど、その年はそこが足りないとなって、僕が行ったんです。で、そこに行ったらやっぱり効率化するにはどうすればいいかって考えるじゃないですか。もうすぐお客さんが増える時間だから先に仕込みをやっておこうとか、今のタイミングでこれを出しておこうとか。2〜3日ですけど、そういうことを考えながら働いていたら、そこのアルバイトのリーダーをやっていた大学生に「次から応援はあの人にしてください」って言われて(笑)。

三上 大学生に(笑)。

和田 そのとき「この職場は大丈夫だな」って思いましたね(笑)。まあ、それは半分冗談みたいな話ですけど、でもそうやっていろんなところに普通に入っていって、自分を見てくれる人がだんだん増えていった。対外的なところでいえば、やっぱりリフトの自動改札の導入ですね。

三上 白馬のスキー場のリフトの自動改札を共通化した話ですね。

和田 はい。白馬はいろんなスキー場があって、索道事業者、つまりリフトを運営する会社がたくさんあるんですね。だけど、それがみんな別々の自動改札を使っていたんです。

三上 それってよくある話ですよね。

和田 そうです。週末に遊びに来る日本人にとってはほとんど問題ないんです。だけど、白馬は当時すでに外国から来るお客さんが増え始めていた。そういう人たちは1週間とか10日とか滞在して、いろんなスキー場で滑るんです。それをやりたくて白馬に来ているので。だけど、いちいち各スキー場でチケットを買い直さないといけない。それってお客さんにとっては面倒なことなので、統合しましょう、と。で、そうなるとかなり大きな投資になるので、価格交渉をやったり補助金を取りに行ったりしたんです。だから、何でも屋として動いていたわけですね。

三上 それを通してまわりの人たちにも受け入れられていった。

和田 価格交渉なんかが思ったよりうまくいったんです。それは白馬全体の利益になる。きちんと実利を出せる人だって認めてもらえたのかな、と思います。

5%の既存顧客でなく、95%の新規顧客を見る

三上 白馬は今メディアから注目される機会も多かったり、すごく元気な場所ですよね。僕もこの間和田さんに案内してもらって初めて行ったんですけど、すごくいいところだと思いました。僕も山が好きで、そのなかでも八ヶ岳周辺は最高だと思っていたんですが、白馬はそれを超えるインパクトがありました。複数のエリアがあるけど、まとまっていてどのエリアにも行きやすいですし。

和田 白馬はギュッとまとまっていますよね。

三上 でも、一方でコンテンツの数とか持ってるポテンシャルでいったらこの辺りも負けてないと思うんです。

和田 そう思います。個人的にはむしろ清里の方が持っているコンテンツは多いかなって思うくらい。

三上 そういうなかで、白馬は何をきっかけにこんなに元気になっていったんでしょう?

和田 いくつかあると思いますが、シンプルにはまずインバウンドの人が勝手に目を付けてくれたということですね。これはラッキーです。僕が入るより全然前、10年以上前からオーストラリア人を中心に「ニセコ(北海道)の次は白馬」という認識を持ってもらえていた。山の大きさだったりとか、雪の降る量とか街の雰囲気とか、理由はいろいろあったと思うんですけど、とにかく外国人が目を付けてくれたことで、いろんなことがやりやすくなったんです。さっきもちょっと話したように、スキーのお客さんって国内だけでいえば今も年々減っているん。これはどうやっても止められない現象です。スキーってやっぱり20代30代が一番多いんですが、この人口が減っているわけですから。それは旅行業界も同じですが、旅行は比較的高齢になっても行けるからその減少は緩やなんですが、スキーはそれが直撃するわけです。そこに外国人という、単価が高くて平日の稼働を埋めてくれる、ものすごくありがたい人たちが来てくれている。だから、その人たちのニーズに合わせていくということを町として意識しています。

三上 自分たちからのアプローチだけでなく、海外からのアプローチもあるわけですよね。

和田 そうです。海外のエージェントも白馬をベースにしているところが何個かあって、オーストラリアとかヨーロッパからどんどん人を送ってくる。送ってくることが彼らのメリットでもあるので。一方で、そういうエージェントから「インフラ面をもっとしっかりやれ」「お客さんが困ってるじゃないか」という刺激もよく受ける。そのお客さんは僕らのお客さんでもあるから、そこはきちんとやっていかないといけない。ただ、これは白馬のラッキーな状況なので、マネしようと思ってもできないかもしれないです。

三上 外国からのお客さんへの対応というのは今盛んに取り組みが行われていますけど、白馬の状況をそのまま当てはめるのは難しいでしょうね。

和田 で、もうひとつはターゲットとするマーケットの再設定です。さっきも言ったように国内のスキーの利用者はどうやっても減っていく。同じような層に同じようなアプローチをしていても先細っていってしまうんです。しかも、施設はどんどん古くなる。それをアップデートしないといけないんですが、その競争相手は今度は海外なんです。海外のスキー場と比べても遜色ないレベルにしていかないといけない。そうなってくると、発想を転換していかないといけない。僕らが今言っているのは「オールシーズンのマウンテンリゾート」という言い方です。つまり「白馬=冬・スキー」というイメージからどれだけ脱皮できるかということで、たとえば冬でなく夏にもお客さんを呼べるようにする。スキーって平均すると世の中の5%くらいしかやらないんですね。5%のターゲットに何をするか考えるより、残りの95%の人に少し白馬に来てもらう方法を考えた方が楽なんじゃないかということです。

三上 スキー以外のものを加えていくことで、新しいパイを獲得する、と。

和田 そうです。清里辺りと比べると白馬ってやっぱり条件的には不利なんです。清里って首都圏からなら日帰りもしようと思えばできる。だけど、白馬って1泊2日でもちょっとどうかなって思うくらいですから。僕なら3連休で行きたい。それくらい遠いんです。海外の人は特に長期滞在するので、スキー場が快適であることはもちろんですが、それだけじゃなく楽しめるコンテンツのボリュームを出さないといけないんです。それは夏の日本人向けマーケットも同じです。「山があります」「スキーができます」ではなくて「リゾート地です」ということで、今まで掘り起こしてこれなかった層を呼んでこよう、と。そのポテンシャルはあると思っていて、ある程度地域として共通の意識を持てている。町としてそういう動きをしているから、メディアも注目してくれているんじゃないかと思います。

「長期滞在で楽しめる町」という強み

三上 そういういろんな要素を持っているという点は八ヶ岳周辺もそうですね。

和田 似ていますよね。ただ、そういうふうに売り出していこうというと、よくあるのは「じゃあプロモーション打ちましょう」といってそれで終わっちゃうパターン。そうじゃなくて、インフラとかコンテンツをつくるところにお金を使わないといけないと思ってやっています。

三上 たとえば今どんなコンテンツを用意しているんですか?

和田 もうシンプルです。ゴンドラがあるから、それで登ってきれいな景色が見られる場所をつくろう、とか。清里でいったら清里テラスみたいな場所ですね。ただ、そういう場所は全国にたくさんあるから、そことどう差別化するかを考えないといけない。僕らは最終的に食事で差別化しようということにして、山の上に、今首都圏なんかでもオシャレな店をたくさん出しているシティベーカリーさんに出店してもらいました。眺めのいいところでコーヒーとクロワッサンという体験をしてもらおう、と。ここはうまく反応を得られています。あとはスキー場があるので、それをグリーンシーズンはMTBをやろうとか、ファミリー向けが減っているからアドベンチャー施設みたいなものをつくっていたりですね。

三上 MTBは八ヶ岳周辺でも長野県の富士見パノラマリゾートさんがやっていますね。

和田 そうですね。今はまだ富士見パノラマリゾートさんの方が大きいですが、何年かのうちに追いつけるようにと思っています。

三上 要素としては八ヶ岳でもある要素ではあるんですよね、どれも。

和田 ひとつひとつを見ていけば珍しいものではないんです。ただ、僕らはそれを「リゾート地」というまとまりで考えて動いている。「観光地」を目指しているわけではないので、ある程度滞在してもらうことを前提に、どんな過ごし方をしてもらえるか、そのコンテンツを考えているということです。町や宿はもうそういう体制ができつつあるんです。いわゆるホテルルームじゃなくてコンドミニアムがあったり、一軒家に泊まるシャレータイプの施設があったり、長期滞在に向いた施設が充実してきた。今はまだ夏の稼働が高くないんですが、「長期滞在で楽しめる町」という環境は今後強みになってくると思っています。だからこそ、アクティビティの幅も必要だし、年齢層も絞り込まずにやっている。

三上 ターゲットを絞ってないんですか?

和田 そう。それってマーケティングの流れからすれば逆行しているんです。「ターゲットを決めてそれに向けて訴求事項をつくれ」っていうのがマーケティングでよく言われることですから。でも、「リゾート地って本当にそれでいいんだっけ?」ってことなんです。20代や30代しか楽しくないリゾート地って聞いたことないでしょう? ハワイだって、20代30代が行ってもいいし、ファミリーが行ってもいい、高齢者がゴルフだけしに行ってもいい。リゾート地を目指すなら、それくらいの幅を我慢してでも用意しないといけないと思っています。

魅力的な地域にすれば自ずと山に来る人も増える

三上 そういうのって長期のマスタープランみたいなものを立てて進めているんですか?

和田 インフラなんかはもちろん中長期でしか考えられないので、5年とかでなくもうちょっと長いスパンで考えてプランを組んでいます。でも、誘客施設に関しては意外と近視眼的で、せいぜい「1〜2年先にこんなものがほしいね」って感じでやっています。コンサルにいた人間が言うことじゃないですけど、計画って立ててもどうせ変わるじゃないですか(笑)。

三上 そうですね(笑)。

和田 それだったら計画を立てることに時間とお金とエネルギーを注ぐんじゃなくて、小さくたくさんやってみて、当たりそうなやつを伸ばしてくみたいな方がB2Cではやりやすいんじゃないかって思うようになってきています。それをどれくらいアジャイルに、スピード感を持ってできるかの方が重要なんじゃないかって。そのときに重要なのが外部の力です。自分たちだけでは結局そんなにいろいろできないわけです。シティベーカリーさんなんかもそうですが、そういうときに外にいる非常に優秀なプレイヤーに来てもらうことができれば、それが決め手になる。もちろん地元でできることは地元でやればいいんですが、それも限界はありますから。僕ら自身も自分たちが儲けるところは決まっているわけです。僕らはリフトに乗ってもらって儲けるのであって、不動産の開発で儲けるでもなければ、レストランの経営で劇的に儲けるでもないし、それでいいと思っているんですね。だって、結局町が魅力的になって訪れる人が増えれば、自ずと山に登る人も増えるわけです。あるいは宿泊のキャパシティが増えれば自ずとスキーをしに来る人も増える。そうすればリフトの稼働も上がる。そういう役割分担を決めながら、地元でできないことは外部の人と組んでやっていけばいい。そのとき組む人たちには必ずメリットがあるような座組をつくりましょう、と。外部の人たちと組むことで、僕らでは呼んでこれないような人たちも呼び込めたりしますし。

三上 そうか、飲食で影響力のあるところと組めれば、スキーやアクティビティだけじゃなくて、飲食関係でも注目を集められるわけですね。

和田 そう。そうやって注目されることで、加速度的にいろんな声がかかってくるようにもなる。

三上 白馬の場合はスキーという大きな軸がハッキリしているのが強いですね。

和田 わかりやすいですよね。そこから考えていけばいいし、そこから考えるしかない。僕ら自身も儲けるところがハッキリしている。一方でメンテナンスにすごくお金もかかるから大変ではあるんですが。実は宿をやったりする方が儲かるのかもしれない。だけど、そこはある意味で割り切ってもいるんです。僕らは地域の集客装置だから、と。つまり、自分たちの施設がきれいである必要はあるけど、ここで自分たちが大儲けできなくてもいいんじゃないかってことですね。それよりも、設備をきれいにしたり、新しいものをつくったり、魅力的なものにしていく方が地域に人が増える。そうすれば最終的に山に来る人も増えるわけですから。

三上 清里、八ヶ岳南麓も何かひとつの方向でうまく連携できればいいんですけど、地域としても広いし、なかなか地域同士でつながりあうのが難しいと感じています。

和田 つながる必要があるのかも考えないといけない。お客さんの動きからしてつながっていた方がいいなら、そこには実利が生まれるはずですから、きっとつながっていける。スキー場の連携なんてまさにそうですから。長期滞在のお客さんに対するメリットを僕らはつくらないといけない。逆にそういうものがないんだったら、プロモーションだけつながっていればいいのかもしれない。

三上 なるほど。今日はすごく勉強になりました。和田さんって超人みたいな人だとずっと思っていたんですけど、今日お話を聞いてみるとやっぱり「やれることからやっているんだな」って。何だかしっくりきました。ありがとうございました!

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