「誰かがいなくなって、理念や思想がなくなってしまえばそれは萌木の村ではなくなってしまう」
経験を次の世代に受け継ぐ仕組みを考える、ホールスタッフ・藤原大介

ROCKは現在多くの若手スタッフにも支えられています。そんなひとりが今年新入社員となったホールスタッフ・藤原大介。

23歳と若いですが、実は飲食でのキャリアは8年近くある、経験者です。東京生まれで、マクドナルドで教育や仕組みづくりにも長らく携わってきた彼が、どうして清里に来たのか、ROCKに何が必要だと考えているのか。

新しいROCKの仕組みを考えている彼に話を聞きました。

「清里は廃れた」なんてその人が勝手に来なくなっただけ

——藤原さんは今年の4月から正社員になったんですよね。

そうです。去年の12月からバイトとして働きはじめて、春から社員という形になりました。

——出身はどちらなんですか?

東京の下町です。家庭の事情もあって高校を途中で辞めて、その後マクドナルドで正社員として働いていました。バイトとして働きはじめたのは15歳の時で、21歳まで続けたので5〜6年ですね。

——じゃあ、まだ若いですけど、キャリアはもう長いんですね。

社会人経験でいうとそうなりますね。今23歳なので8年くらい。

——マクドナルドにっていうのは、何か理由はあったんですか?

特に理由はなくて、当時バイトしていたお店で店長が「ぜひ社員に」と誘ってくださったからそのまま、という感じです。ただ、一芸に秀でている方が社会に出てから役に立つかなって思いもあったので、その後も飲食業に絞って働いてきました。

藤原大介。

——マクドナルドではどんなことを?

フランチャイズの社員として本社に出向していました。最後は一応ひとつのお店の店長でしたけど、欠員が出たところを埋めるような形だったので、店長代理みたいなポジションですね。業務的には在庫管理とか仕組みづくり、各店舗を回っての社員教育なんかをやっていました。

——21歳のときに店長ですか。若い!

年齢でいうとちょっと若かったかもしれないですが、キャリア的にはマクドナルドでは探せばけっこういたと思います。珍しくはないかな、と。

——東京にいて、キャリア的にもステップアップしていたときに、清里にっていうのは何がきっかけだったんですか?

最初に清里という場所を知ったのは、当時の部下からなんです。その子が清泉寮でバイトしていたことがあって、お土産でクッキーを買ってきてくれた。そのとき、ちょうど仕事でも疲れていて「どこか旅行でも行きたいな」と思っていたので、清泉寮に遊びにいってみることにしたんです。それから何回か旅行に来ていました。

——でも、遊びに行くのと移住しよう、働こうっていうのはかなり違いますよね。

もともと仕事もちょっと昇進が重なって、頑張りすぎたのか、年齢にしては責任が追いつかなくなっていたかなっていうのもあって、肩の荷が重いという気持ちがあったんです。少し落ち着く時間がほしくなってたんですね。それで清里で働こう、と。

——清里のどんなところがそんなに気に入ったんですか?

なんでしょう……? 空気がいいとかそういうシンプルなことですね。1日のうちに長くやることには力をかけたくて。たとえば人間は1日8時間とか寝るでしょう? だから、よく寝られるように睡眠のためのルーチンをつくったりしているんです。仕事も8時間くらいしますから、仕事も頑張りたい。空気も1日中吸うものなので、どうせならいいものを吸いたい。単純に東京にはない原風景に魅入られたのかもしれないです。それと、YouTubeで見た動画なんかもひとつのきっかけではあったのかもしれないです。清里を車で走っているだけのシンプルな動画だったんですけど、そこに付いているコメントを見ると「清里は廃れてしまった」とか「今はもう行かない」とか書かれていて。それを見ていて、悔しいっていうんじゃないですけど、「そんなのその人たちが勝手に行かなくなっただけじゃないか?」って気持ちになったんです。「僕は今でもいいところだと思う」って。

——旅行で遊びに行っていただけの地域のことでそれだけ怒るって、相当気に入っていたんですね(笑)。

だと思います(笑)。

思い出ができたことで清里の景色自体が娯楽になった

——じゃあ、清里で働こうと考えたときもまずは清泉寮が第一候補だったんですか?

とりあえず仕事を探してみたら清泉寮が一番募集の幅が広くて、寮付きだったんです。それで清泉寮に応募して、だいたい1年お世話になりました。そこでも主に飲食関係のセクションで働いていました。僕はリゾートバイトみたいなイメージの形で、1月とか2月あたりに働きはじめて、少し落ち着いてくる11月にいったん更新タイミングになるという形だったんですね。もう1年更新という形もできるし、そうする人もいるんですが、僕はそこで終わって、次の職場を探すことにしたんです。

——それでROCKに。

はい。それも、清泉寮に一番近くて募集があるところを探して決めただけなんですが(笑)。

——清里では定番ですもんね。通年営業で募集も多いから。

ここがダメならもう少し下ったところで働けるところを探そうと思っていました。門戸が広いところはいろいろあるので。

——なるほど。やっぱり一番基本にあるのはどこの会社で働くかというより、「清里で暮らせること」なんですね。

そうですね。(清泉寮を運営する)キープ協会で1年過ごしている間にいろいろと思い出もできて、離れにくくなったというか……。「あのお店はあの人といっしょに行ったな」とか「この道はこんなことを話ながら歩いたな」とか、土地そのもの、景色がもう僕にとっては娯楽になっているのかもしれないです。東京にいたころは仕事ばっかりしてて、友だち関係とかを省みることも全くなかったんですけど、そうやって思い出をつくる友だちがいるっていいことなのかなって思うようになりました。

——単純な便利さでいえば東京ってすごく便利な街で、それに比べると清里は不便でもあると思いますが、そういう環境も合っていた?

「ゆったりとした時間を過ごしてる」というんじゃないですけど、こっちに来てからひとりでいられる時間をつくるって大切なんだなって思いました。東京にいるときは、公園でもどこでも人がたくさんいて、どこに行っても落ち着かなかったんですけど、今ならちょっと森に入るだけでももう人間と会わない(笑)。友だちと過ごした時間ももちろん大事なんですが、そういう環境があることも自分には合っているんだと思いました。

マニュアルは一流になるための「型」

——ROCKで働きはじめてそろそろ1年ですが、ROCKの印象ってどうでしょう?

地元と密接なところは面白いなと思います。僕は地元の人間じゃないですけど、お客さんの多くは地元の方で、ホールのスタッフも地元の方と仲がいい人がたくさんいる。個人店の延長みたいな雰囲気ですよね。マクドナルドでも常連さんはいましたし、「いつもありがとうございます」なんて声をかけることはありましたけど、それとはまた違う距離感。マクドナルドではお客さんの分母も違うし、1対1の時間を大事にするというのはなかなか難しい。ROCKの接客スタイルというのは、個人店的なお店ならではの時間の使い方なのかなと思います。働きはじめて1年経ちますが、ROCKって言葉にしにくい部分がずっとありますね。このお店って何なんだろうって。同時に、よくも悪くもアナログだな、とも思っています。

——アナログ、確かにそういう感じですね。

ちょっと失礼な言い方かもしれないですけど、やっぱり無駄が多いと思います。1年見てきましたが、スタッフの人数が足りていないとも思わないんです。配置は合っている。だけど、みんなヘトヘトになってしまっている。そんなに疲れるような働き方をしなくてもすむんじゃないかって思っています。

——大手のフランチャイズは店舗もアルバイトスタッフも多い分、属人的にならなくてすむ仕組みをつくっていますよね。そういうのと比べると、ここはすごくアナログですよね。

はい(笑)。だから、最初に受けた印象は「飲食店にして飲食店にあらず」なんです。しっかりとしたマニュアルもない。40年以上やっているのに、飲食店らしいノウハウがうまく蓄積されていないんです。それはもったいない。社員スタッフが何人か抜けるということで社員に誘われたわけですけど、社員になった以上何かちゃんと会社に残したいし、貢献したいと思っています。それで自分に何ができるかと考えていくと、マクドナルドで教育チームにいた経験なんかもあるので、仕事のマニュアル化やオペレーションの効率化というのがもっとも適任なのかな、と思っているんです。

——マニュアルづくりはROCKとしても課題に感じているところですよね。

マニュアルっていうと硬いイメージを抱く人もいるんですが、そうじゃないんですよね。マニュアルって剣道や柔道の「型」みたいなものなんです。一流の武道家は型を身につけて、その組み合わせや応用で戦っている。その動きを見て硬いとは思わないでしょう? 常日頃やることだから、失敗せずに正確にできるように身につける。その最適なルーティンや型を、ちゃんと文字にして、形として残そうということなんです。

——マニュアルというと堅苦しいですけど、結局業務を教えたり、指導する必要はあるわけですもんね。

それを口頭だけにするのは意味がない。そんな一子相伝みたいなスタイルは辞めましょう、ということなんです(笑)。みんながいろんな仕事をできた方がいいんですから。そうやってもっと効率的に働けるようになれば、毎日クタクタにならないですむし、接客でももっとお客さんとコミュニケーションを取る時間ができる。

——よりよくするための道具がマニュアルということですね。

そして、人を育てるための仕組みでもあると思います。萌木の村って人を育てるのが決して上手ではないなって思うんです。たとえばBar パーチでバーテンダーをやっている久保田さんのようにプロフェッショナルはいるけど、久保田さんももともとは外部から来た人で、外で培った知識や経験をここで発揮している。萌木の村に必要なのは、それを継承する人をつくることだと思うんです。久保田さんの知識や経験を受け継ぐ2代目のような人をどんどんつくれるようにする。そうすることで、やっと本当の意味でそのノウハウや経験が萌木の村のものになる。そういう人材育成のための研修なんかもできるようになったらいいと思っています。

——そこはまさに萌木の村の急所ですよね。

クリティカルな部分だと思います。それは技術とかだけではないですから。それこそ社長がいなくなったとき、その理念や思想がまるまるなくなっちゃうなら、それはもう萌木の村ではない。お店が建っていて、景色が同じだから「萌木の村」ということではないじゃないですか。そこに人の考えとか心が加わって、やっと会社として成り立つ。そういうものをきちんと受け継ぐために人材育成の仕組みって必要なんです。

マニュアル化などのほかにも、在庫管理の効率化など仕組み面での整理を進めています。

——その辺の部分をこれからさらにやっていくのが藤原さんのお仕事というわけですね。

いろいろと構想は練っているんですが、やっぱり何年かはかかることなので。そういう意味ではここでお話ししているのもちょっと気後れしてはいます。途中で辞めたりしたら、「あいつ、大風呂敷広げて畳まずにいなくなったな」ってことになるじゃないですか(笑)。

——でも、やり始める人がいないとずっとそのままになってしまうことですからね。大事だと思います。

頑なになっていた心を溶かした一杯のコーヒー

——ROCKでの目標や役割とは別に、個人的にやってみたいと思っていることとかはありますか?

萌木の村でのことでいうと、これも社内で声をかけられてという形ですけど、敷地内の小屋みたいなところでコーヒースタンドをやれないかという話がありますね。実際につくれるのか、僕がやるのかとかはまだわからないですけど、そういう機会があるならぜひやりたいと思っています。もともと将来的に小さいコーヒーのお店をやれたらなという夢があるんです。ずっと将来の話ですけど。

——コーヒーショップですか。

はい。それも清里に来てからできた夢なんですが。キープ協会にいたときに出会った人がすごくコーヒー好きで、その人が淹れてくれた一杯がすごく心に残っているんです。何というか、頑なになっていた心をちょっと溶かしてくれたというか。

——頑なになっていた部分があったんですか。

やっぱり僕は学歴がなくて、家庭の事情も複雑で、全体的に劣等感が強いというか。社会人になってからもずっと「誰にも負けちゃいけないんじゃないか」「学歴もないんだから、もっと頑張らなきゃいけないんじゃないか」という気持ちがあったんです。だから、仕事が終わったあともひとりで勉強したりして、いっぱいいっぱいになるまで働いていた。それでいよいよ限界になって清里に来たという感じなんです。だけど、環境が変わったからといって、いきなり人間が変わるわけではない。そういうときにいろんな人に出会って今の自分になっていった。今もまだ頑なな部分というのは残っているのかもしれないですが、そういうがんじがらめの部分を少しずつほどいていっているような感じなんです。

——そのきっかけのひとつがコーヒーだった。

はい。そうですね。その人が教えてくれた、人生観じゃないですけど、そういったものが自分にとってはきっかけだったのかな、と。もしかしたら話してくれた内容っていうのはたいしたことではなかったのかもしれないですけど、そういう些細なことでも人って変わるきっかけになるんだなって思うんです。だから、そんなきっかけをつくれるような、お客さん一人ひとりとゆっくり顔を合わせるようなお店ができたらいいなと思っています。だから、コーヒーやドリンクについても今勉強中です。

——なるほど。ROCKでもドリンクメニュー開発に関わっていたりするんですよね。

それも「やってよ」って言われて、というところではあるんですけど(笑)。でも、興味はあるので、この間の秋メニューや今の冬メニューでいくつかドリンクメニューをつくっています。自分自身もカフェ巡りが好きなので、いろんなお店でいろいろ試した経験から組み合わせを考えていっています。

——今だとどんなメニューをつくったんですか?

「ほうじ茶ラテ」は自信作ですね。茶葉とかから選定して、甘味料もどれにするかとかすごく悩んで選んだので。シロップが自家製で、蒸してつくっているんです。もちろん既製品もあるんですけど、どうせならおいしいものを飲んでほしいじゃないですか。それで、どれくらい蒸して、どれくらい砂糖を入れれば一番いいか、試行錯誤しました。それもレシピ化して、どのスタッフでもつくれるようにしてあります。

——そんなこだわりのドリンクだったんですね! 今度僕も試してみようと思います!

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