総支配人・三上が聞く!Vol.12
「デザインや編集があると生活が楽しくなる」
BEEK・土屋誠さん

「やまなしの人や暮らしを伝える」というコンセプトで発行されているフリーマガジンがあります。2013年にスタートした「BEEK」です。

編集長を務め、ほぼひとりでつくっているのはデザイナーの土屋誠さん。“BEEK”の屋号とともにアメリカヤの5階にオフィススペースを構えています。

今回は雑誌をつくることを通じて、デザインの役割や地域についてROCKの三上浩太が聞きます。

つまんないと思ってた地元

三上 土屋さんって出身はどちらなんですか?

土屋 僕は石和(山梨県石和町/現笛吹市)。温泉街からちょっと離れたくらいのところだね。高校までずっと石和で、大学も山梨県内。夢も希望もない感じだったよ(笑)。

三上 そうなんですか?

BEEK・土屋誠さん。

土屋 アニメ、映画、音楽ばっかり。高校時代は部活で忙しかったかな。バレーやってたんだけど、そこそこ強豪校だったから厳しかったし、部活ばっかりだった。大学なんかは何もないし、暇だったな。フリッパーズ・ギターのコピーバンドとかやってたよ。

三上 フリッパーズ!

土屋 渋谷系が元気だったころだから。バンドはすぐ解散というか、消滅したけど(笑)。

三上 バリバリサブカルって感じですね。

土屋 サブカルに当てられてだいぶ性格もひん曲がってしまった(笑)。

三上 じゃあ、高校生のときなんかは「まわりの連中、全然面白くない!」って感じでしたか?

土屋 そんなパンクじゃないよ(笑)。それ、三上くんでしょ?

三上 まあ(笑)。僕はパンクというか、何ですかね。中二病ですかね?(笑)

土屋 それがこんなに立派になって……(笑)。

三上 この間高校生の前で観光について話す機会があったんですけど、そこに高校時代に教えてくれた先生が2人もいて。先生達感動してるんですよ、「よかった、あの三上が……!」って感じで(笑)。めっちゃ恥ずかしかったです。

土屋 今ってそうやって地元とか観光のことを学校で積極的にやってるよね。俺たちのころはなかったからなぁ、そういうの。

三上 駅前のMIACIS(ミアキス)みたいな中高生が集まれる場所もありますしね。

土屋 俺たちのころは、溜まるところないからみんな街をフラフラしてたのに。みんな家以外に居場所を求めてたんだよね、昔から。俺なんか甲府の街で不良に絡まれてカツアゲされたからね(笑)。

三上 え、いつですか?

土屋 高校のとき、ゲーセンの帰りに。絡まれて「お前、ノーリンのカトーさん知らねえのか?」って(笑)。

三上 「ノーリンのカトーさん」(笑)

土屋 知らねえよって(笑)。で、財布出せっていわれて。出すよね、パンク精神ないから(笑)。でも、そんな感じで石和も甲府も何もないし、全然面白くないって思ってたよ。

普通の人が一番面白い

三上 それが今こうやって山梨で「BEEK」みたいな雑誌をつくるようになったのはなんでなんですか?

三上浩太。

土屋 もともと雑誌が好きで雑誌カルチャーで育ったので、山梨に帰ったら地域の雑誌を作ろうと思ったんだよね。大学卒業のとき、就職活動しなかったからしばらくフリーターやってた。いろいろやってたけど、雑誌の仕事をやりたいって思って、地元・山梨のタウン誌の仕事を始めた。で、もうちょっとちゃんと雑誌づくりやりたいなって思って、25歳の時に東京に出たの。

三上 東京にはどれくらいいたんですか?

土屋 25歳から33歳まで。特定の雑誌の編集部じゃなくて、編集プロダクション(出版社から記事制作を請け負う会社)にいたから、いろいろな雑誌の仕事をしてた。2年ごとくらいに転職してたし。「東京グラフィティ」って雑誌だけ編集部にいたかな。今もあるけど、面白い雑誌だったよ。サラリーマンとか街の人にお題を出して政治家に対するメッセージを書いてもらったりとか、原宿で高校生を50人くらいつかまえてストリートスナップ撮って記事にしたり。政治家に話を聞いたこともあった。その当時からLGBTみたいなものも扱ってた。多様性の雑誌だったね。

三上 そういうものに刺激を受けてたんですね。

土屋 東京ってやっぱり田舎には絶対にいないような人もいる、多様性のるつぼだから。しかもマイノリティがいるってだけじゃなくて、マイノリティもそれなりにいるから、そういう人たちのコミュニティも成り立つ。そういう多様性のあるようなところに行ってたから面白かったよ。そこで「普通の人が一番面白い」って思うようになった。それは今でもあるかな。「普通の人の暮らしがいいな」って思う。

三上 そういうところで雑誌づくりのノウハウを学んでいったんですね。

土屋 雑誌が好きで行ったからね。雑誌をつくるためのことしかやってない。それは意識してやってたかな。もちろんデザイン会社にいるといわゆる普通のグラフィックデザインも学べたけど、基本的には雑誌に関われるところを選んでた。

三上 じゃあ、デザインだけじゃなくていわゆる編集もできるようなところを選んで?

土屋 そう。デザインワークが中心だけど、編集とか取材も行ける場所を選んでた。だから、編集プロダクションがよかったんだよね。デザイン担当だけど、取材も行きたいっていってついて行けたりするから。まあ、その分作業は多くなったけど(笑)。編集の人は取材・編集までだけど、俺はデザインもやらないといけないから。だから、最後はデザインだけのところに行って、エディトリアルデザイン(本や雑誌などのデザイン。より効果的な誌面デザインを考えるデザイナー)をしっかりやったりした。そういうのが全部今役に立ってるかな。技術もだし、量としても大量にやったから、自然と作業も速くなったし。

誰のために働いているのかわからない


三上 そのあと山梨に戻ってくるんですよね?

土屋 うん。東京では最後3年くらいは独立してフリーランスとしてやっていたんだけど、もともとずっと東京にいたいって思ってたわけではないんだよね。雑誌づくりのスキルを身につけたいっていうのが目的だったわけだから。けっこう面白い雑誌に携わらせてもらって楽しかったけど、やっぱり忙しいし、フリーになって無理もしてた。身体も壊しちゃったりしたし。しかも、読者が見えないっていうのもあった。直接触れあうことがないから、どういう人が読者でどんな感想を持ったかとかがわからない。普通のデザイン仕事もほぼほぼ代理店が間にいて、仕事をくれる人と直接触れることがない。そうなると、「誰のために働いてるんだろう」ってイヤになっちゃった。そんなころ、ちょうど山梨でやっていたタウン誌の仕事も貰ってて、そっちは割と仕事をくれる人との距離が近かったんだよね。そういう方がいいなって。で、ちょうど子どもも下の子が生まれたばかりで、上の子は幼稚園に入るタイミングで、「ちょうどいいな」って思って戻ることにした。

三上 それで今いる北杜市の大泉に?

土屋 そう。賃貸サイトで物件見てたらよさそうなところがあって、1回気軽な感じで見に行って「いいじゃん」ってピッと決めちゃった。大泉だったのは何となくだね(笑)。なんか暮らすイメージができたんだよね、北杜市は。今だったら甲府も面白いと思うけど、当時はまだよく知らなくて、高校時代の「つまんない」ってイメージのままだったから。

三上 「BEEK」をつくりはじめたのはなぜ?

土屋 「雑誌がつくりたい」と東京に行って、地元の山梨に帰ってきたときに、「雑誌をつくりたい」を地元で今ならできる、むしろ今やるしかないと思ったんだよね。山梨にひさしぶりに帰ってきたら会いたい人がたくさんいて、その人に会えるような企画を考えて最初のIssue01を編集したんだ。

仮想クライアントは山梨県

三上 でも、なんで山梨をテーマにしたんですか? それこそ雑誌カルチャーで育った人なら、カルチャー的な雑誌をって考えそうな気もしますけど。

土屋 もともとフリーペーパーも好きで、いろんなところのフリーペーパーを集めてたんだよね。でも、山梨ってあんまりなくて。だったらつくりたいなって。題材としても山梨に戻ってきてやるとしたらそれしかない。確かに自分の個人的な趣味や気持ち100%でやってたら「BEEK」は出ない。テイストも全然違うものになるだろうし。さっき言った「普通の人が一番面白い」っていう話ともつながってて、暮らしや生活、そういう営みがどうやってできているかを知るのって面白いし、喜びがある。カルチャーっていうのとはまた別でね。どうやってものがつくられて、運ばれて、そこで人が暮らしているか。そういうものとか人を「BEEK」というメディアのなかで知っていく喜びがある。

三上 「BEEK」はまさに「やまなしの人や暮らし」がコンセプトですよね。

土屋 そう。「BEEK」では「やまなしの人や暮らしを伝える」ってテーマを自分に課している。自分もそうだったけど、山梨のことを知らないがゆえにつまらないと思ってる人って多いと思う。でも、年齢を重ねるなかでいろいろ知って、そうすると「面白いな」ってことがたくさんある。そういうものを伝えていこう、と。それで知ってもらった結果、読んだひとがどういう行動をするかは個人個人で選べばよくて、別にみんなが共感しなくてもいい。でも、「知ってる」と「知らない」の差は大きいと思ってて、情報として知ってほしいなって。それが原動力かな。

三上 なるほど。

土屋 で、そういうテーマだったら「じゃあこういうテイストで」「切り口で」と考えてつくっている。だから、クライアントはいないんだけど、自分で仮想クライアントをつくってる感じなんだよね。もっというと、仮想クライアントは山梨県なの。僕のなかでは「山梨県がお金をかけてこういう雑誌をだしたらいいんじゃないか」っていうものをつくっている。

三上 勝手に山梨の広報誌をつくってる。

土屋 うん。「BEEK」は東京でも配布してるけど、半分以上は山梨県内で配ってる。だから、山梨の人に見てもらいたい。そうするとあまり奇抜すぎてもダメだ、とかターゲットも想定して考えている。そうなると発注元はいないけど、お仕事と同じでしょ? このお題のなかでターゲットはここで、さらに広がりを持たせるにはこうしよう、とか広告的な視点も入れたり。

三上 それが結果的に自分の仕事にもつながってるわけですね。土屋さん自身の宣伝にもなっている。

土屋 そう思ってやってた。「BEEK」自体がお金になるわけじゃないからね。実際、今の仕事は8割方「BEEK」を見てくれた人や関わってくれた人から貰ってるし。「BEEK」を見てるから、僕のテイストも理解してくれてて、全然方向性の違う仕事も来ないし、本当にありがたい。

メディアの役割は「パーソナルなものをどれだけパブリックにできるか」

三上 最初の反響ってどうだったんですか?

土屋 最初は実績もないから「本当にできるの?」って感じだったんだけど、できると「あ、できるじゃん」って思ってもらえて。掲載した人から広げてもらえたからよかったね。それでも、今も苦労してるけど(笑)。めっちゃプレゼンして口説いたり。

三上 そうやって果敢に挑んでくのが楽しいって感じですか。

土屋 いや、スッと受け入れてもらえる方がいいよ(笑)。でも、次の号も少しずつ進めてるし、ペースは落ちてるけど10号くらいまではちゃんと出したいなって思ってる。大変ではあるけど、楽しいし、自分のなかで小さいメディアをつくったと思ってるから。今はブログみたいなツールもあるけど、あれはやっぱり個人のもの。メディアってパーソナルなものをパブリックにする存在だと思うんだよね。「BEEK」は小さいけどメディアで、意思があって、それをパブリックなものにして広げていく存在。そういうものにしたい。個人のもの、「あれはもうあいつのものだ」ってものになったら、広がらないしファンも付かない。意思を持って、かつ読者、読んでくれるひとのためにつくるのがメディアだと思う。今の「BEEK」は冊子もあるし、ウェブもあるし、SNSもある。で、今度FM FUJIでラジオをレギュラーでやらせてもらうことにもなったから。10分程度だけど、生放送で山梨のことを伝えるって番組。いろんな形で届けられればいいなって。

三上 いやあ、土屋さんは山梨の宝ですね。

土屋 何やってんだろって思うけどね(笑)。時間ないって行ってるのにラジオとか。でも、「どうですか?」って聞かれると「はい」とか言っちゃうから。

三上 じゃあ、本当に県内を飛び回ってる感じですね。

土屋 でも、自分のなかでは農家さんみたいなイメージなんだよね。朝起きて畑行って帰ってきてご飯食べて寝る、みたいな。フリーランスだから暮らしとしてもそうだし、何かを耕してる感じ。人なのか、情報なのか、そういうものを耕して、お日様に当てて。山梨ではちゃんと人の顔が見えてて、その人のためにデザインという仕事ができている。みんないろんな問題を抱えてるから相談に来るわけで、デザインとか編集ってそういうものを解決するものだと思ってるわけ。例えばこの机も、誰かが使う人や場所のことを想定してつくっている。もっといえば、場所をつくるのもデザイン。人が集まる場所、つながる場所を、どこにどういう形でどんなふうにつくるかというところまで考えるのがデザインだから。編集やデザインってそういう身近なものなんだよね。だけど、それがあんまり理解されていない。

三上 デザインってトータルのものなんですよね。1個ものをつくるだけじゃない。どこに置いて、どういう役割を持たせるかとか全体を考えないとできない。そういうことって、地域にも活かされると思うんです。

土屋 「BEEK」はそういうことを伝えるひとつの形でもある。デザインや編集が入るとこんなによくなりますよ、伝わりますよっていうのを形にしている。もちろん日々の仕事も同じで、そういうことを地道にやってきたのがこの5年くらいかな。

「楽しく暮らす」をデザインする

三上 ただ、本当にデザインや編集の重要性って理解されづらいですよね。「チラシをつくるだけ」みたいに思われている。

土屋 それってデザイナー自身の責任でもあるんだよね。何をするのがデザインか、どういう役割なのかっていうのをちゃんと説明して理解してもらってこなかった。そういうことを説明しながらやっていくのもデザイナーの仕事なんだと思う。デザインや編集があると単純に生活も楽しくなるんだよって。楽しく暮らすための役に立つんだって。

三上 土屋さんは山梨を盛り上げたいっていうより楽しく暮らしたいって感じなんですね。

土屋 うん。盛り上げたいとか全然ないよ(笑)。いや、全然ってことはないけど。楽しくやっていきたい。楽しいところには楽しい人が来るから。「まちづくり」っていう言葉もちょっと苦手で、街は自然とできあがっていくものだと思ってる。もちろんディレクションがあって、それでうまくいくというのもいいと思うけど、楽しくやってたら楽しい人たちが自然に集まると思うんだよね。デザインはそのためのもの。地域にいるデザイナーってPCの前でカチャカチャやってるだけじゃつまんないと思う。いろんな人、すごい人はいっぱいいるから、そういう人をつなげてみんなが面白いってちょっとでも思える社会になればいいなって……「社会」とか言っちゃった(笑)。年取ったから思うんだね。昔は「社会? 何それ?」って感じだったのに(笑)。でも、そういう仕組みのデザインが一番大事だって思うようになったかな。

三上 手を入れないといけないところってたくさんあって、放っておくともう持たないですもんね。

土屋 人間、目の前に現実がつきつけられるまで気にしなかったりするからね。ヤバいってわかってはいるけど、ギリギリになるまで気づかないふりをしてたり。でも、そういうことにも目を向けないとね。

三上 清里も韮崎もそこを何とかしていかないといけないですね。今日はありがとうございました!

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