八ヶ岳のパン屋・焼き菓子屋が萌木の村に集結する『八ヶ岳ベーカーズ』。今年の秋は2020年10月11日(日)に行われます。イベント開催に向けて、出店するベーカーズおひとりおひとりを紹介する特集記事をお届けします。
第11回目の対談は、『ゼルコバ』の小野孝章さんです。2016年に立川から白州へ移転してきました。地元の人はもちろん、立川のころからのファンも多く訪れているそう。今回は、小野さんが白州にたどり着くまでの経緯についてお話してくださいました!
―もともと東京のパン屋で修行していたんですか?
小野 僕、実家が寿司屋なんですよ。寿司屋を継ぐべく京都の割烹で修行してたんですけど、そこを経て東京に流れ着いて、東京の蕎麦割烹で仕事をしました。そば粉を練っているうちに、主食になるってすごくいいなと思いまして、ちょっとフランスに行ってみたんです。日本では米文化ですけど向こうは小麦文化でパンが主食でしょ。今までの自分の価値観にはない文化だなと思ったんです。帰ってきてから友人が『ルヴァン』て言うパン屋を教えてくれたんですけど、すごい人気店でそこで働きたい人が何十人と待っているところだったんです。お金は要らないので働かせてくださいって言ったんです。
―すごい行動力ですね!
小野 そのうち、空きが出たところで入れてもらえることになって、それでパンのことを少しずつ学んでいきました。そんな時、立川に薪窯でパンを焼いてる『ゼルコバ』というお店があるって聞いたんです。そこは建築デザイン賞も取っているようなところで面白そうだなと思って行ってみたんです。もともと美術系の高校だったので興味もあったし。それが家内の実家だったんですけど。何回か通っていくうちにうちで働いてみない?って声を掛けてもらって手伝い始めたんです。3年くらいやったところで、今度は僕がメインでやらないかってことで7~8年くらい経験を積んで、今ここに移って来たんです。パン屋になってから25~6 年ですかね。
―日本料理、お蕎麦屋さんからパン屋さんに!面白い経歴ですね。立川から移住してこっちでパン屋をやろうと思ったきっかけは何だったんですか?
小野 こっちに来たのは東京の友人が須玉の方に移住してたのが大きいです。父が割烹尾やっている姿をみてたからというのもあり、僕小さい頃から自分のお店を持つっていうのが夢でした。僕の我がままで申し訳ないなと思っていたんですけど、気力と体力のあるうちにやりたいなと思いまして意を決してやることにしたんです。向こうからわざわざこっちに来て下さるお客様もいらっしゃるので本当にありがたいです。
―とても素敵なお店ですが、ここは探したんですか?
小野 そうなんですよ。友人が須玉の方でいろいろ紹介してくれたんですけど、なかなか貸してくれるところまで話が進まなくて。パンの窯が大きくて4トン車が奥まったところに入れなかったりで窯を設置することができなかったんですよね。そうこうしているうちにたまたまここに空きが出て、ここならできるなと思って決めました。本当は生活の場としてはもう少し引っ込んだところがいいなと思っていたんです。でもお店をやるには色んなお客様に来てもらいやすい場所っていうのを考えると、ここは良かったと思います。
―開店当時大変だった事はありますか?
小野 収入がその間ずっと無いんで早くお店を建ててなるべく早くお客様に買ってもらえるように心掛けました。材料とか道具とかは向こうで使っていたものをそのまま持ってきたので、例えば帆布とか、パンを発酵させるものとかにはもともとの酵母菌が沢山ついてるんですよ、それで発酵させると安定してできるのでそのまま使えたっていうのは大きかったですね。でも冬は断熱材が全く入っていなかったので-7,8℃位はいっちゃって、パンを捏ねるにも締まっちゃうんですね。それが最初は大変でしたけど、断熱材を入れたらちゃんとできるようになりました。家の中で洗濯物を干して振り向くと凍ってるくらいの寒さだったんですよ(笑)
―断熱材を入れるとそんなに変わるんだ(笑)パンとか食材に拘りはあるんですか?
小野 こだわりは特にないんですよね。昔から使っていたものを使ってます。でもどれでもいいって言う訳でもなくて、例えば友達が作っている〇〇とか、意識して使ってます。うちだとバナナのパンがあるんですけど、最初は普通のバナナを買って作ってたんです。友達がフィリピンからフェアトレードでバナナを輸出してて、現地の人の自立支援をするNPOもあるんです。お店で使うものにお金を払うわけですけど、そのお金がどんなふうに流れているか、どんな風に使われているか見えないことが多いじゃないですか。それがなるべく見えるところにお金を使いたいと思って、バナナはこんな人たちが作って自分たちの力で売って生計を立てているというところまで見えるから、そういうのがいいなぁと思っています。
―食材の美味しさはもちろんですが、たくさん使用する食材だからこそ、その食材の背景にも目を向けることは大事ですよね。商品はどのようにして生まれるんですか?
小野 この辺だと高齢の方が多いのでなるべく食べやすいものと思ってます。うちでヒット商品になるのは逆境から生まれるものが多いんです。例えばピーナツをすごく焦がしてしまって、じゃあどうやったら美味しく食べれるかなって考えて、ピーナツバターを作って少し塩気を効かせてピーナツを挟んで出来たのがピーナッツパンなんですよね。他の商品も結構そういうのが多くて、普通に考えると出てこないアイディアが、失敗したからこそひねり出してできたパンは多いですね!野菜を使ったパンは、夏野菜が特にそうなんですけど沢山穫れちゃうんですよね。こういうものを作ろうと思ってそこから食材を探すよりも、沢山穫れた野菜たちをどうしようかという方向から作る事が多いです。そうすると今までの凝り固まった考えじゃない所から発想が生まれるん面白いものができたりします。畑は奥さんが家庭菜園で作っているのと、近くのおじいちゃんおばあちゃんから貰うのも多くて、無農薬のもあれば農薬を使っているのもあります。もちろん身体を作るものなので安全なものに越したことはないんですけど、例え農薬を使っていてもおじいちゃんとかおばあちゃんが一生懸命作っているという気持ちを大事にしたいなと思っています。
―うちでも野菜を育てているのですが夏野菜はどんどん穫れるので消費し切れなくて困りました。奥さんも一緒にパンを作ってるんですか?
小野 以前やってたんですけど、子どもがまだ小さいんでどんどん成長していく過程で今しか見れないことって沢山あると思うんです。それを経験できずに過ぎていくっていうのはすごくもったいないことだから、家内も僕もなるべく子供との時間を大切にしようと思ってます。仕事があるからなかなか上手くいかないって言う人もいると思うんですけど、出来ないって最初から言っちゃうと絶対できないんで、どうやったら少しでもできるかなって考えます。今は東京で働いていた子がこっちで働きたいって言ってくれて朝パンを作るところだけ手伝ってもらってます。
―この仕事をやっていて良かったなと思う瞬間てありますか?
小野 子どもってお世辞をいう事あんまないと思うんですけど、小さい子とかが美味しいってたべてくれた時ですかね。うちの息子はパンが硬いって言ってあまり食べなかったんですけど最近は食べますね。あとはアレルギーがある方、卵、バター、乳製品がダメな方もいらっしゃってうちは生地にそういうのが入っていないんで、そこで喜ばれると、こういうのを望んでいる人たちもいるんだなって感じますね。
―現在のライフスタイルはどんな感じですか?
小野 月火お休みをもらっているんですけど1日は仕込みなんですよ。もう一日は前は息子と休みが一緒だったんで、毎週のようにどっか遊びに行ってたんです。今年から小学校に上がって時間の軸が変わったので、今は息子が帰ってくるまでは家の改装が多いですね。あとは趣味が多いんでの趣味をやったりとか。酵母をずっと繋いでやっていたり、動物も飼っているのでなかなか長期で家を開けられないんですけど、車の後ろに布団を積んで泊まるとこを決めないで夜になったら道の駅かなんかで泊まって寝て、遊べるところを探したりとか。鉱物を拾ったりとか。僕自身小さい頃そういう経験がすごく楽しかったんですよ。小さい頃の楽しかった事とか美味しかったもの、五感に刻まれた記憶って大人になっても忘れないんですよね。
―今後どうなっていきたいとか展望とかはありますか?
小野 続けられるうちはパンをやっていきたいと思ってるんですけど、かなり重労働なんで歳がいってからも同じペースではできないと思うので、それなりのやり方とか量に変えたときに生活が成り立つようにしたいなと思いますね。実は趣味でパイナップル科の植物を育てるのをパン屋より長い間やってて、ドイツ、イギリス、オランダ、アメリカ、オーストラリアから植物を輸入して花が咲いたら花粉を取っておいて他の花が咲いたときに冷凍させておいたものを受粉させてできあがったタネを撒いてっていうのをずっとやっているんです。そういう植物を求めてる人が今結構いて、買えますか?っていうお客さんが結構いるんです。少し生活の糧になるので、そういうのにシフトできたらいいなって思います。
―最後に八ヶ岳ベーカーズの印象をお聞かせください。
小野 うちのカミさんは絶賛ですよ。あんなに待遇のいいとこはないって。最初に行ったら、「お茶が出るんだよ」ってびっくりしてました。「カレーも食べていんだよ」って。立地、環境、客層もそうですし、いつも楽しみにしてます。
―楽しみにしていただいて嬉しいです!今回の八ヶ岳ベーカーズもよろしくお願いします!