萌木の村でお酒といったらROCKと八ヶ岳ブルワリーのクラフトビール・タッチダウンを思い浮かべる人が多いでしょう。ですが、実はウイスキーをはじめとした貴重なお酒がたくさん集まるバーもあるんです。それがホテル ハット・ウォールデンの一角にあるバー パーチです。
ここは宿泊者以外も立ち寄れるバー。比較的手頃なお酒から、サントリーさんが特別につくった、ここでしか飲めない世界最高峰レベルのウイスキーまで、さまざまなお酒が集まるお店です。
このパーチでバーテンダーを務めるのが久保田勇。立ち上げから10年以上にわたってパーチを育ててきたバーマンです。
今回はそんなバーテンダー・久保田に、地震のことやバーの魅力、そしてこれからのパーチについて聞きました。
ある日突然バーテンダー以外への未練が消えた
——バーテンダーって職業の名前やイメージとしては馴染みがあるんですが、実態は意外とよく知らないんです。たとえば、「どうやってなるのか」とか「何をもってバーテンダーとするのか」とか。
バーテンダーという職業の明確な定義みたいなものはないですね。いわゆる居酒屋とバーの違いも確たる境目はないと思います。お酒を提供するお店もいろんな形態がありますし。ただ、バーテンダーと呼ばれる職業には特徴があります。お酒の知識や技術のプロフェッショナルであると同時に、接客を行うサービスマンとしての面も併せ持っていることでしょう。イメージとしてはお寿司屋さんに近いかもしれません。お寿司の職人さんは接客もして料理もするでしょう? バーテンダーはそのお酒版だと思います。
——客の立場から見ていると、アーティストだとも感じます。カクテルをつくるクリエイティビティもあるし、所作としてもひとつひとつが美しい。
自分としてはそういう意識はないですが、そう言ってもらえるのは嬉しいですね(笑)。おいしいお酒を提供したいという気持ちはやっぱり大きいので。
——ただ、資格職でもないですし、新卒の就職でバーテンダーになるというイメージもないですよね。久保田さんはどうやってバーテンダーになったんですか?
大学生のときに大人の人にバーに連れて行ってもらったんです。渋谷だったかな? そこで生まれて初めてディタを飲んだんです。
——ライチのリキュールですね。
そうです。今ではどこでも飲めるようなお酒ですけど、当時の僕は存在も知らなくて。そこでディタグレ(ディタグレープフルーツ)を飲んで、「この世にこんなおいしい飲み物があるのか!」って感動したんです。
——初めてのバーでの体験が衝撃だったんですね。
はい。バーテンダーっていうのも何かかっこいいでしょ?(笑) それで興味を持ってバーでバイトをするようになったんです。
——入り口は大学時代のバイトだったんですね。
でも、最初はいくつかやっているバイトのひとつくらいでした。大学卒業後もしばらくそんな感じで、複数のバイトをしながら過ごしていたんですけど、ある日突然「バーテンダー1本で行こう」って思ったんです。
——急にですか? それは何がきっかけで?
きっかけは僕自身もよくわからないんです。「徐々に熱が高まっていって」というのでもない。本当にある日突然スイッチが入ったみたいにバーテンダー以外の仕事に未練がなくなってしまった。
——コーリング(神の啓示)みたいな感じですね。じゃあ、そこからはバーテンダー1本に。
はい。いくつかのお店で働きましたけど、バーってお店によって本当にいろいろなんです。働きはじめて2週間でお酒をつくらせるお店もあれば、長い下積みを経てようやくお酒に触らせてもらえるようになるお店もある。一番長く入っていた新宿のお店は下積みを大事にするところで、入って1年はお酒を触らせてもらえませんでした。ホールスタッフをやりながら、洗い物と簡単な調理だけ。
——じゃあ、お酒づくりの練習はいつ?
朝5時にお店を閉めたあとですね。ずっと氷水で練習していました。それでオッケーをもらってようやくつくれるようになった。
「久保田勇のバー」として生まれたパーチ
——それまでずっと東京にいたんですよね? それがなぜ萌木の村に?
生まれも育ちも東京でしたね。山梨に来ることになったのは27歳のときです。いろいろと縁があって山梨にくることになったんですが、そのときは環境も変わるし、バーテンダーの仕事じゃなくてもしかたないのかなと思っていました。それでROCKと出会って就職の面接に来たんですが、「バーテンダーをやっていた」と話したら「ならバーをつくろうか」って話が始まったんです。
——え? その当時ってまだパーチはなかったんですか?
ありませんでした。僕がここに来ることになったことがきっかけで、パーチができたんです。パーチという名前のロビーがホテルにもともと備わっていました。
——まさに「久保田さんのバー」なんですね。
社長といっしょにバーをつくってきた10年でした。もちろんいきなり立ち上げから関わることになったので不安もありました。もともとはただのホテルのロビーだった場所ですから、立ち上げ当初は今みたいにバーカウンターやソファもなくて、ウイスキー数種類でひっそりとやっているような場所でしたから。でも、バーができるという喜びは大きかったです。
——パーチの立ち上げから10年以上ですが、山梨を離れようと思ったことはないんですか?
実は少し前に東京で1年ほど改めて修行していた時期があるんです。東京は生まれ育った街だし、山梨に来てからもネオンサインが懐かしいなと思うことはありました。でも、実際に東京に戻ってみると、ふしぎと山梨が恋しくて。山梨が好きになってたんだなって気付きました。パーチがあるってだけじゃなく、ライフスタイルとして山梨での生活を選びたいって気持ちになっていたです。
——20代でこの世界に本格的に入って、以来ずっとバーテンダー一筋だったわけですよね。久保田さんにとってバーテンダーという仕事の魅力って何なんですか?
お客さんが会いに来てくれるっていうのがすごく嬉しいんです。バーって「人」という要素が大きいじゃないですか。さっきも言ったようにお酒づくりもするし、接客もするのがバーテンダーという仕事でしょう?
——確かに。同じお店でもバーテンダーさんが変わったら別のお店になりそうです。
お客さんもお酒はもちろんですが、僕に会いに店まで来てくれる方もいる。それが喜びですね。で、反応も全部ダイレクトに返ってくる。料理人だとキッチンに籠もってしまうし、普通のホールスタッフだと料理はできない。バーテンダーはその両方でリアクションを受け取ることができる。こういう仕事をしていると、「ほかの人よりいいものをつくれるようになりたい」という気持ちは自然に生まれるし、技術を磨いていこうと思うんですが、それもお客さんを通して結局自分に返ってくるんですよね。
「入りづらさ」はバーの魅力
——ただ、バーって初心者はなかなか入りづらい雰囲気も感じちゃうんですよね。
うちは意外と「バーは初めて」っていう方も多いんですよ。もちろん貴重なお酒もあるし、専門性も高いからマニアの方もたくさんいらっしゃる。マイナーだけど、お酒好きの方の間では有名なんです。でも、そのほかっていうとまったくのビギナーってお客さんが多かったりする。カジュアルバーという感じで、わいわい賑やかに楽しめるわけではないですがかといって銀座のバーほど緊張感があるお店でもない。なかなかほかにはないバランスのお店だと思います。
——確かに「一見さんお断り」というお店ではないですよね。
それと、「入りづらい」って実はバーにとって大事なことでもあるんです。入りづらいってことは逆にいえば外界から遮断されるということでもある。取っつきにくい分、中に入ると外のことを忘れられる、居心地がいい空間になるわけです。
——なるほど。「隠れ家的」であることもバーの魅力なんですね。
だから、ドアもわざわざ付けたんです。オープンから3〜4年経ったときに改装することになったんですが、それまではホテルとバーの間にドアがなかった。会社からは「入りづらくなるからドアは付けない方がいい」という声も多かったんですが、僕は絶対ドアを付けるべきだと言って付けてもらいました。居心地をよくするためには必要なんです。だから、初めての人も勇気を出して入ってきていただけたらなと思います。
——とはいえ、初めてのバーってちょっと怖いじゃないですか。いくらくらいかかるのかわからないですし。
予算や好みをおっしゃっていただければ、それに合わせてお酒をお出ししますよ。そうやってバーテンダーとキャッチボールしながらお酒を選べるのがバーのいいところなので、お客様も楽しみながらプロに委ねてもらえればと思います。お会計の平均で言うならチャージ込みで3,500円くらいでしょうか。4,000円いかないくらいの方が多いです。うちのお店ではすごく高価なウイスキーなんかもあるので、1万円、2万円となる方もいらっしゃいますが、そういうマニアの方にはむしろ「このウイスキーがこの値段なら安い」と言っていただきますね。ひとりで17万円飲まれた方なんかもいます(笑)。
——すごい(笑)。
でも、そういう高いお酒だけじゃなく、うちではなるべくよそには置いてなくて、おいしくてコスパのいいお酒を揃えるようにしています。バーで飲むことの意味ってお酒そのものだけではないですが、それでもどこでも飲めるようなお酒なら、わざわざうちで飲んでいただくっていうのももったいないじゃないですか。1,500円くらい出していただければ、ある程度熟成が長くてストレートで飲んでもおいしいウイスキーもラインナップに入ってきます。決して安くはないですが、価値として楽しんでもらえるものはご用意できていると思っていますので、試していただければ。お客様自身もせっかくオーダーいただいてお支払いいただいてご自分の口に運んでいただくものなので、バーテンダーとキャッチボールしながら、お酒に興味を持ってもらって、楽しみながら飲んでいただければいいなと思っています。
目標は「打倒ROCK!」
——これからやりたいこととか目標みたいなものはありますか?
僕個人でいえばまずカクテルコンペとかに積極的に出て賞を取っていきたいと思っています。実力を付けたいというのももちろんですが、これまで萌木の村やいろんなお店に育ててもらって今がある。だから、そういう形で少しでも恩返しができたらと。お店としては、やっぱりもっとお客様に来ていただけるようにしたいですね。特に地元の方。うちのお店は今9割くらい県外からのお客様なんです。遠くからわざわざ来てくださる方がいるのは非常に嬉しいことなんですが、逆にいえば10年やっていてまだまだ地域に根付いているとはいえないということです。それって寂しいし、何とかしないとなって思っています。実際、うちでバーデビューした地元の方たちもいらっしゃるんです。それでバーって楽しいなって思ってくださって、いろんなカクテルやウイスキーを楽しむようになって、「ウイスキー検定を受けたよ」とか「出張のついでに銀座のバーに行ってきたよ」とか「行きたいバーがあるから旅行に行ってきたよ」って言ってくださる。それがすごく嬉しいし、やりがいにもなっています。
——そういう人が増えることで地域全体のお酒文化も変わっていきますよね。
パーチも変わっていくと思うんです。バーってバーテンダーだけでなく、お客様もいっしょになって育てていくものだし、どんな方がいらっしゃっているかによってその日の空気も変わっていく。ライブ的な楽しみもあるんです。地元の方にも愛してもらえたら、県外からいらっしゃる方と地元の方がクロスオーバーする場所になる。
——そうなればより面白い場所になりますね。
特にここは目の前にROCKというお店があるでしょう? あそこは地元の人も県外から来る方もいて、いつも賑わっている。ROCKはレストランですが、同じくお酒を扱うお店でもある。そういう意味ではライバル視しているし、「打倒ROCK!」みたいな気持ちもあります。「清里に来たらROCKに行こう」みたいな感じで「清里に来たらパーチに行かなきゃ」って思われるような場所にしていきたいですね。
——清里の定番スポットのひとつになるということですね。
将来的にはサントリーさんの白州蒸溜所との直通バスでつながるようなバーになったらいいなって思っています。そういう場所にできるようにもっと頑張っていきたいですね。