総支配人・三上が聞く!Vol.11
「アメリカヤの屋上から夕日を見たとき、ここは壊しちゃいけないなと思った」
IROHA CRAFT・千葉健司さん

平成も終わりにさしかかった2018年4月、山梨県韮崎市の駅前でひとつのビルが生まれ変わりました。そのビルの名はアメリカヤ。1967年に誕生し、長年地元で愛されてきた韮崎のシンボル的な存在です。

2000年代初頭にその歴史に幕を閉じ、シャッターが下ろされていたのですが、昨年リノベーションされて再オープン。レトロでありつつ、新しい、韮崎の新たなシンボルとなっています。

アメリカヤ再生を手がけたのは、リノベーションを得意とする建築・施工事務所のIROHA CRAFT(イロハクラフト)。代表の千葉健司さんは、アメリカヤからさらに韮崎の駅前で次々と新しいことに取り組んでおり、建築・リノベーションの枠を超え、まちづくりでも大きな活躍をしています。

今回はそんな千葉さんに、韮崎市出身の萌木の村ROCKの総支配人・三上浩太が話を聞きました。

空き家率全国ワーストの山梨だからこそはじめたリノベーション

三上 千葉さんは妹さんが僕の高校の同級生だったり、地元・韮崎つながりの縁があったりするんですが、経歴についてちゃんと聞いたことはなかったんですよね。出身は韮崎市なんですか?

IROHA CRAFT・千葉健司さん。

千葉 出身は韮崎のおとなり、双葉町(現・甲斐市)です。高校で韮崎高校に通うようになったので、韮崎との縁はそのときが始まりですね。電車通学だったんですけど、いつも駅のホームからアメリカヤのビルも見ていました。「何だ、この建物?」って。アメリカヤのビルとその上にある韮崎平和観音が、自分のなかの韮崎の象徴みたいな景色です。

三上 建築をやろうと思ったのはなんでなんですか?

千葉 小さいころから建築が夢だったんです。小学校の時に自宅を増築して部屋をつくってもらったんですけど、それ以来大工が夢で。小学校の卒業文集にも大工になるって書いてました。それで、中学校に進んで建築士という仕事があるのを知って。つくるんじゃなくて建築を考える仕事っていうのもあるんだ、と。「つくるのも楽しそうだけど、考える方が面白そうだな」ってことで、建築士が夢になるんです。

三上 じゃあ、それからは建築士になるために進学を?

千葉 いやそれが、大学は全然関係ないところに行っちゃったんです。僕は足が速かったから陸上で推薦をもらえて、それで東洋大学に行ったんです。だけど、やっぱり違和感があって。結局1年で辞めちゃって、京都にある建築の専門学校に入ったんです。やっぱり建築やりたくて。その学校を卒業したあと、地元に戻ってきてハウスメーカーとか工務店とか設計事務所で修行して、26歳の時に一級建築士を取りました。それで29歳の時に独立して事務所を開いたんです。

三上 独立しようと思ったきっかけは何だったんですか?

千葉 自分でどこまでできるのか知りたいなって。あと、リノベーションに力を入れたいと思ったんです。山梨県って今空き家率が全国ワースト1位でしょ? それが社会問題になっている。逆にいうと、この空き家をどう活用するかというのが課題になるし、今後需要が出てくるだろうな、と。だから、リノベーションに力を入れた設計事務所をつくろうと思ったんです。

三上 それがいつのことですか?

千葉 2010年です。

三上 そのころってまだリノベーションはそんなに盛んじゃなかったですよね。

千葉 リノベーションって言葉がまだそんなに浸透していないころでしたね。自分は使ってたけど、けっこう「え?」って聞き返されることも多かったです。

三上 先見の明ですね。それで山梨で事務所を?

千葉 そうです。最初は双葉に事務所をかまえました。これも実は空き家のリノベだったんですよね。僕の実家は10年ちょっと前くらいに家族で(山梨県)北杜市に引っ越していて、双葉の家が空き家になってたんです。で、やっぱり空き家の管理にも困っていた。だから、リノベーションして自宅兼事務所にしたんです。その後、ずっと付き合いのあった知り合いと合流していっしょに会社をやっていくことになって、人の自宅に出入りするのも気まずいだろうから事務所も引っ越すことにしました。それで韮崎に。その彼が一級施工管理技士って資格を持っていて、施工もできるようになったので、それから「IROHA CRAFT(イロハクラフト)」って設計・施工の会社になりました。

三上 なぜ、韮崎ではじめたんですか?

千葉 たまたまちょうどいい大きさの空き家があったというのもあるんですけど、韮崎は地元って意識もあるんですよね。自分の仲間も高校の時の、韮崎の人が多いかったりもするし。実は三上くんも誘ってるんだよね、「うちで働かないか?」って。

三上 聞きました。母が「うさぎや」って韮崎にある和菓子屋で働いてるんですけどですけど、そこに千葉さんがお客さんとして来ていたんですよね。それで母から「千葉さんが来ないかって言ってる」と聞いてはいました。

千葉 そう、引き抜こうとしてた(笑)。妹の同級生だっていうから話を聞いたりもしていたので。それでお願いしてみたんだけど、やっぱり難しくてね。

三上 難しいというか、あんまり実感がわかなかったんです(笑)。

建築屋だからこそ借りることができた廃ビル

三上 アメリカヤのリノベはどういう経緯で手がけることになったんですか?

三上浩太。

千葉 韮崎に来たときからアメリカヤは気になってたんです。廃墟みたいになって錆び錆びで、お化け屋敷みたいになっちゃってたから。それで、いろんな人に「借りられないかな」なんて話をしてたんです。言葉にすると夢を引き寄せるっていうけど、そうしたら本当にどんどんつながっていって、亡くなったアメリカヤのオーナーの息子さんに思いを伝えることができて。話をしてみたら、実はその方も困ってたんですよ。当時すでにビルは営業していなかったんですけど、壊すのにもものすごいお金がかかる。建物の老朽化、雨漏りもしていましたし管理に困っている様子でした。
かたや借りたいという人間。奇跡のマッチングだったんです。そこからはトントン拍子でしたね。

三上 でも、それまでにもアメリカヤのビルを借りたいって人はいたんですよね? 僕も話を聞いたことがあります。なんで千葉さんはうまくいったんですか?

千葉 僕もあとからいろいろ聞いたんだけど、そういう話ってやっぱり「1階を借りたい」みたいな形が多かったみたいでね。でも、オーナーさんは管理に困ってたから。大家さんと借り手って困るのは結局管理の部分なんです。たとえば、「雨漏りしました」「給排水が漏れました」となると「じゃあ、大家さん直してください」ということになる。それが大変なんです。でも、うちは建築屋だから。そういう管理も全部含めて、ビルまるごと貸してください、といえた。たとえば水漏れがあっても自分たちで直しますから貸してください、と。それで鍵を借りて、実際にビルを見に来たんですよ。夕方だったかな。ギィィィって扉を開けると、中は真っ暗。正直怖いなって。でも、屋上に行ったらちょうど夕焼けでね。すごい景色なんです。「やっべえな、ここ!」って。そのときこれは壊しちゃいけないなって思ったんです。古いものってつくれないですから。

三上 それはすごい……。確かに「まるごと借りたいです。自分たちで全部管理して直します」なんて人、なかなか現れないですよね。

現在のアメリカヤ。カフェやショップなどさまざまなテナントが入っています。

千葉 今進めている「アメリカヤ横丁」の話も同じです。

三上 アメリカヤの目の前の横丁ですよね。あそこをリノベーションして、新しくテナントを入れようという。

千葉 そう。あそこも大家さんが壊そうとしていたんだけど、その噂を聞いてお願いしにいったんです。管理も含めて定額でまるごと貸してくださいって。それで借りて、うちでリノベして、テナントを探して「アメリカヤ横丁」という形にする、と。

三上 もう不動産業ですよね。

千葉 いや、でもうちは不動産屋じゃないから、そこで儲ける気はないんです。リノベーションに掛かった費用をみんなでシェアして返していくイメージです。みんなでシェアすれば1人1人の負担はかなり少なくてすみます。それに韮崎市からの家賃補助も出ますし。

三上 素晴らしいですね!

千葉 だからこそ、面白い人に入って欲しいんです。アメリカヤもそうだったんですけど、公募みたいなことは一切やっていなくて、基本的にこっちから面白そうな人に声をかけて来てもらってる。横丁もそういう形にするつもりです。面白いことってそういう取り組みがないとできないと思うんですよ。

三上 でも、それっていろはクラフトとしてはどう成り立たせるんですか?

千葉 うちは結局建築っていうのがあるんで。アメリカヤなんかはリノベーションすることで、うちの代表作になった。それで仕事も増えてくれたんです。だから、まちづくりで儲けなくてもいいし、とにかく面白い人たちを集めたい。

リノベが「遊べて、飲めて、泊まれる」街に変える

三上 実際、アメリカヤが生まれ変わって韮崎の街は変わりましたよ。色々な所で話題に上がるし、新しい価値が生まれたと思います。

千葉 横丁もその延長というか……たとえば、この前アメリカヤの駐車場スペースでナイトマーケットのイベントをやったじゃないですか。ROCKにも協力してもらって。あそこはお寺さんが持っている土地で、檀家さんにしか貸さないということでやっていたんだけど、「街を盛り上げてくれるなら」ってことで特別に貸してくれたんです。駐車場として借りたんですけど、こんな駅前の大通りにただ駐車場ができても面白くないでしょ? だから、普段は駐車場だけど、月1くらいでイベントもできるコミュニティスペースにしよう、と。夜市みたいな形でね。(ワインで盛り上がっている)勝沼が朝市なら、韮崎は夜市みたいな感じで。夜市って若者が集まるイメージで、元気がある。スペースがあることで、そういうまちづくりができるわけです。で、さらに横丁があれば、ナイトマーケットが21時に終わって、そのあとは横丁で飲んでもらうっていう流れができる。

三上 先日、韮崎のチェーン店で飲む機会があり、人が溢れていて驚きました。

千葉 でも、チェーン店が賑わっているってことは、需要はあるってことなんです。お酒を飲む人が減ったっていうけど、チェーン店にはあれだけ人が入ってるんだから。十分可能性はありますよ。

三上 場所があることで街も人も変わりますよね。

かつてのアメリカヤの様子。「アメリカ」という名前だが、どこかアジアンな雰囲気が印象的です。

千葉 本当はさらにゲストハウスもできたらいいと思うんです。ナイトマーケットをやって、横丁で飲んで、遅くなったら泊まっていく。韮崎駅は新宿から来る特急あずさも止まるわけだし、遊べて、夜飲めて、泊まるという一連の流れができれば、1日中、韮崎を楽しんでもらえるようになる。そういう流れができたら面白いですよね。ただ、うちは建築屋だからゲストハウスの運営まではできない。リノベはもちろんするとして、誰か運営をやってくれる人を探しています。プロデュース案もいろいろあるし。あと、三上くんにはアメリカヤ横丁に来てほしいんですよね。

三上 僕自身が来られるかどうかというのはありますけどね……。

千葉 ROCKとして出しても面白いじゃん。

三上 ああ、ビアバーとか、日替わりでスタッフが入ったり。それも面白いですね。韮崎って観光のイメージはそれほど強くないから、東京から遊びに来るときの玄関口になるといいと思うんですよね。初日は韮崎で飲んだりして遊んで、2日目は北杜市の広いフィールドで遊ぶ。そういう流れをつくれたら面白いですね。

みんなが喜んでくれたことで広がった視野

三上 千葉さんのそういうまちづくりの発想って何がきっかけで生まれたんですか? もともとは建築への興味なわけじゃないですか。

千葉 基本的にはずっと建物単位で考えていました。転機はやっぱりアメリカヤだと思います。「ここを複合施設にしたら面白いな」って思ったんです。で、実際にやってみたら想像以上の反響があった。ずっとリノベーションをやってきたから、成功するだろうという自信はあったんです。けど、自分で思っていたよりずっと大きな反応だった。それまでもリノベーションすることでお客さんが喜んでくれたけど、アメリカヤではオーナーだけじゃなくていろんな人が喜んでくれたんです。地元の人や地域も応援してくれるし、行政も協力してくれる、メディアも注目してくれる。なんて面白い事業なんだろうって。そうなってみて初めて自分のやったことに実感が湧いてきたんです。こんなにみんなが喜んでくれるんだっていうのが嬉しくて。「だったらこんなこともできるじゃん」「あんなこともできるじゃん」ってどんどん発想が広がるようになった。アメリカヤがきっかけになって考えることが広がったんです。

三上 やりながら成功体験も実績も積み重ねていったわけですね。

千葉 やってみて気付いたことなんですけど、このリノベはイヤな思いをする人がいないんです。オーナーは一番喜んでくれてるし、うちも喜んでるし、入ってる人たちもみんな喜んでくれてる。街も行政も喜んで、誰もイヤな思いをする人がいなくて、それって成功するに決まってるよなって。

三上 それはすごく重要なことですよね。僕はこの前、徳島県の上勝町ってところに行ってきたんです。人口1700人程度なんですけど、街全体のリサイクル率が80%にもなっていて、2020年には100%を目指している。持続可能な街のモデルということで世界的にも注目されていて、面白い人たちが集まってきている。僕はその仕組みを勉強しようと思って行ったんですけど、アテンドしてくれた町長さんがずっと言っていたのはむしろ気持ちの話だったんです。「持続可能なものでなければもうダメだ。そのために大切なのは真善美だ」と。真善美というところに常に立ち返って自問自答していけば絶対に持続可能なものはできるというんですね。イヤな人、不幸な人が出ないというのは、まさにこの話に通じるものだと思います。

街には“面白い人”を可視化する場所が必要

三上 これから人口も減っていくなかで、変わっていかないと地方都市はもう生き残れない。そういうなかで、千葉さんが地元でこういうことをしてくれているのはすごく嬉しいし、心強いです。

千葉 本当、自分たちがやらないとどうにもならないんですよね。商店街で昔から頑張ってきた方たちは高齢化し、これからまた新しいことを始めるのはなかなか難しい状況。
僕らが自分たちで何かを始めないと、商店街は存続しないんです。本当は若い人たちと場所をつなぐこともやりたいんですよね。うちは建築屋なので、お店をやりたいって相談もよく来るんです。でも、物件を貸してもいいという人はあまりにも少ない。だから、若い人が入って来れない。アメリカヤや横丁の話にしても、借り手を募集していたわけではないですから。「ここは貸してもいい」「売ってもいい」という情報をどんどん出して欲しいんですよね。それで、地図で借りられそうなところに色をつけていきたい。

三上 建築、リノベーションを通じて人をつなげる機能が生まれ始めているわけですね。今、韮崎はミアキスという中高生の拠点になる施設もありますよね。僕らのころは中高生が行くところって全然なかったんです。それが今は集まって交流できるスペースがある。近くにアメリカヤもある。街にとってすごい種まきだと思います。そういうふうにカルチャーやコミュニティが生まれる場所で育った人たちが20代になったとき、きっと街にすごく大きな影響が生まれると思う。ただ、そのときに彼らがチャレンジできる場所があるかというのがこれからの課題ですよね。じゃあどうするかといったら、僕はやっぱり観光、交流人口を増やすというのが一番わかりやすい解決策だと思っています。

千葉 そうだよね。

三上 面白い人はたくさんいますから。そういう面白い人がいるんだというのを可視化するのは場所が必要なんです。インターネット上の場所でもいいんですが、現実の場所があるというのはすごく強いというのをROCKにいて感じます。

千葉 アメリカヤもそうなんだよね。こうやって三上くんが来てくれたり、面白い人たちが気軽に顔を出してくれる。毎日いろんな人が来てくれるんです。それが嬉しい。

三上 萌木の村ももちろんですが、地元の韮崎でこういうコミュニティができていくことは嬉しいし、僕自身もこういうことをやりたいと思っています。

千葉 本当、やってほしい。横丁やナイトマーケットを盛り上げてもらえたら、かなり心強いよ。面白いことをどんどんやっていってほしい。

三上 面白いことがどんどんできそうですよね、ここは。いろんなことをやっていけば、何かのきっかけでとんでもないハーモニーになる気がしますね。今日は本当にありがとうございました! これからもぜひ何かやっていきましょう!

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