たくさんのスタッフが働くROCK。そのなかでも、お店の顔ともいえるベテランのひとりが舩木良だ。
名前ではピンと来なくても、顔を見れば「ROCKのレジや店内でよく見る人だ!」と思い出す人も多いのではないだろうか。彼はROCKの創業者である舩木上次の実弟で、ROCKにはオープンしたばかりのころから関わってきた。さらに、海外のラリーに参加するラリードライバーとしての顔も持っている。
ROCKの店頭で歴史を見てきた彼がどんな人で、今何を考えているか、改めて話を聞いた。
中学生の少年に大人の世界を見せたROCK
——ROCKができたとき、良さんっておいくつくらいだったんですか?
舩木 僕は1958年生まれだから、ROCKが創業したとき(1971年)は……中学生ですかね。何しろ昔のことだから、細かいことは忘れてしまったけど、最初のお店はとにかく寒かったのを覚えてます(笑)。それから、関わっている大人やお客さんとしてくる大人がみんなステキに見えて、「早く大人になりたいぞ」って思っていました。社長(舩木上次)は大学を中退して戻ってきてROCKをはじめたでしょう? だから、田舎の中学生だった僕からすると、都会の文化を知っている大人だったんです。兄や兄の友だちにはいろんなところに連れて行ってもらっていました。(同じ山梨県の)甲府に映画を見に行ったり、当時はまだこの辺では珍しかったロイヤルホストに連れて行ってもらったり。そこでハンバーグを食べて、初めて「こんなおいしいものなんだ!」って知りました。それまでってスーパーで売ってるパック入りのハンバーグくらいしか食べたことがなかったので、ビックリしましたね。
——お店もそのころから手伝っていたんですか?
舩木 それはもちろん。僕らのころは家の仕事が忙しければ手伝いをするのは当たり前でしたから。母はドライブインをやっていたのでそこでラーメンをつくったりもしていたし、民宿の手伝いもあった。同じように兄のROCKでもいろいろやっていたわけです。でも、ROCKのスタッフもみんな重宝がって弟みたいに大事にしてくれて、遊びに連れ出してもくれた。だから、苦痛というより大人の世界に触れさせてくれる、楽しい場所でした。もちろん、夜9時を過ぎるころには、そこは“子ども”扱いになるので、そこまでとなりましたけど。
——上次さんやROCKの人たちが都会や大人の世界の窓口だったんですね。
舩木 そうですね。それから、ROCKはお小遣いがもらえるのも嬉しかったんです。ドライブインの手伝いなんかは当然何ももらえないんですけど、ROCKはバイト代ではないですが、手伝いをするとお小遣いがもらえた。そうすると、お金を貯めて好きなものに使えるでしょう? 僕は機械いじりが好きで、車やオートバイも好きだった。だから、ROCKを手伝って貯めたお金でオートバイを買ったり、その部品を買ったり……もう学校で勉強なんかしてる場合じゃないって感じですよ(笑)。
——そのころから車が好きだったんですね。
舩木 ええ。だから、レースやラリーにも興味はあったんですが、レースは時間もお金もかかる。家は貧乏でしたし、レースって基本的には土日に開催されるんです。そうすると、家の手伝いもあるからとても出られない。だから、「レースは無理!」って思ってました。その分、このあたりは公道でない、広い農場や林道がたくさんありましたから、そこを自由気ままに運転して遊んでました(笑)。
——それも楽しそうですね(笑)。でも、親御さんは何も言わなかったんですか?
舩木 親父は「乗っちゃダメだ」とは言いませんでした。「乗るならちゃんとヘルメットをかぶれ!」って言われてましたね。トラクターやカブに乗ったりしていましたから、公道でないとはいえ一般的には怒るものでしょうけどね(笑)。それはすごくありがたかったです。
ROCKの店頭に立つ自分もラリーに出る自分もつながっている
——高校卒業後はそのままレースの世界に行ったんですか?
舩木 いや、僕はレースデビューが遅いんです。言ったとおり家が貧乏なのはわかっていたので、高校卒業後は調理師の専門学校に進んだんです。自動車の整備士になる専門学校というのも考えていたんですが、調理師の専門学校は1年で調理師免許を取ることができた。整備士は2年通う必要があったんです。だから、とりあえず1年調理師の専門学校に通って、それでもまだ自動車の整備士になりたいようなら、それから通えばいい、と。卒業後は清里に戻ってきたころ、社長がケーキ屋さんをはじめるって計画があって、それをやるために修行したりしました。それで、26歳くらいのころに結婚して、子どもができて少し落ち着いたころにラリーに出ることになったんです。ROCKの仕事を通じて知り合った趣味の仲間もいて、そういう人たちの勧めもあってね。「じゃあ行ってみようか」って。
——ラリーは海外へ行くことも多いんですよね。
舩木 そうですね。僕の場合はオーストラリアなんかが多いです。だいたい2週間くらいなんですが、行って帰ってくると浦島太郎状態なんですよ。実際には2週間程度では季節もそれほど変わらないし、出発するときに置いてあったメモがそのまま残ってたりするくらいなんですが、感覚的には半年とか1年ぶりくらいに感じるんです。日常とはまったく別の感覚の世界なので。最近はもう10年くらいラリーに出られてないんだけど、機会があればまた出たいですよ。トラブルの連続だし、真剣勝負なんだけど、言葉にすると「楽しい」としかいいようがない世界。
——ラリーの世界でもいろんな出会いがありそうですよね。
舩木 普段は出会わないような人にも会いますよ。びっくりするようなお金持ちもいる。フランスのフレデリック・ドールっていう人がいるんだけど、彼は海運王でタンカーを何十隻も持っているような人。プライベートジェットを持ってたりね。その彼が「趣味はラリーが一番面白い」って言って競技会に来るんです。大金持ちなんだけど、ラリーの舞台では「ドルちゃん!」なんて呼んで、いっしょにごはん食べたりできちゃう。相手も友だちだって言ってくれるし、こっちも「日本に来たら連絡してよ」なんて言える、そういう関係ができるんですよね。しかも、僕は英語なんか全然できないんだけど、何となくで会話しちゃうから、端から見てるとすごくコミュニケーションできてるみたいに見えるようで(笑)。同じ日本人で何かトラブルが起こったりすると頼られたりもするんですよ。
——国際人という感じですね。
舩木 どうなんでしょう(笑)。ただ、外国人に対するコンプレックスみたいなものはないですね。日本人ってやっぱり外国の人に対してちょっと構えてしまうところがあるんですが、そういうことはない。それはたぶん小さいころから自然に触れていたポール・ラッシュ先生のおかげですね。
——良さんの場合は、そういう趣味の世界もROCKでの仕事とつながっている感じがします。
舩木 直接ではないですが、つながっていると思います。割合としてはわずかなものだと思いますが、ラリードライバーとしての僕を知っているという人に声をかけてもらったり、同じように車が好きってことで話をさせてもらうこともありますしね。ある意味、仕事をしているときも、頭のどこかには車のことが置いてある感じです。仕事ではないけど、仕事も趣味も結局自分の一部なので。たとえば、お客さんに車の話を振られて話をしているとき、それが仕事なのか趣味なのかって線引きできないでしょう?
——遊び心が仕事にもつながっているように感じます。バレンタインの日に急に「チョコを配ろうよ」って10万円分のチョコを買ってきたとか(笑)。
舩木 この間ROCK MAGAZINEに掲載されたボーペイサージュの岡本さんの話を読んで気付いたんですが、結局、僕も人に喜んでもらうのが好きなんでしょうね。男子トイレの飾りもそう。今、車のエンジンピストンを飾ってるんですよ。
——男性だから、と(笑)。
舩木 こういうのって今、怒られるかもしれないんですけどね。「神聖なエンジンをなんてところに飾ってるんだ!」とか。それにたいていの人はそれが何かわからないだろうし、ジョークにも気付かないと思う。だけど、ほんのわずか数人が気付いて、一瞬でも「クスッ」としてくれたら、それが嬉しいじゃないですか。ある意味では気付かない人が多い方が面白い。
——そういう遊び心があることも、良さんの接客が記憶に残っているという人も多い理由なのかもしれませんね。
舩木 どうなんでしょう。でも、実は過去に自分がやったことって僕はすぐ忘れちゃうんです。そのときそのときは真剣で、すごく集中してエネルギーを注げるんですけど、過去になった瞬間からどんどん忘れていっちゃうタイプなんでしょうね。だから、来てくださった方に「この前来たときこんなことしていただいて」って話しかけてもらったりするんですが、僕の方は忘れちゃってたりして、申し訳ないなと。
——一瞬一瞬がすべてなんですね。
お店の外もROCKの魅力に
——良さんは50年近いROCKの歴史を見てきたひとりですが、良さんの考えるROCKらしさってどんなものでしょう?
舩木 改めて聞かれると、なかなかパッと答えが出てきませんね。でも、そういうものをもっと僕ら自身が自覚しないといけないですよね。それはお店の理想像ともつながっているはずですし。たとえば、ROCKって萌木の村の前の交差点あたりからもうROCKの一部だと思うんです。曲がり角を曲がって駐車場に入ってくるあたりで、少し雰囲気が変わるでしょう? このあたりは電線も少ないですし、ちょっと景色が変わる。テーマパークに近づいていくときのような高揚感を、お店の周りからつくっていけたらいいと思うんです。だから、不親切だけど案内看板も出していないんです。
——そういえばないですよね。
舩木 お叱りを受けることもあるんです。確かに案内板があるほうがわかりやすい。でも、そういう案内看板って「これから楽しいところに行くぞ!」って気持ちを盛り上げるためには邪魔になるでしょう? 不親切だけど、案内があれば親切なのかっていわれたらそれも違う気がするんです。だから、理想でいえば駐車場も少し離れたところにあるのが究極の理想形だと思ってます。不便だけど、お店まで歩いてくる過程もワクワクする時間として楽しんでもらえる。そういうところまでこの周辺を整えられたらいいですよね。
——お店のなかでやることだけがサービスではないということですね。
舩木 その通りですね。ここまで来て、帰るまでROCKの楽しさになるのがいいと思うんです。そういう意味ではスタッフの制服なんかもそう。制服を選ぼうっていうと、つい「じゃあ制服のカタログから探そう」ってなっちゃうけど、そうじゃないと思うんです。ROCKをどういうお店にしたいか、どういうお店なのかというのを考えていけば、カタログのなかにある選択肢から選ぶんじゃなく、業務用カタログに載っていない、いろんなメーカーのいろんな服が選択肢になる。お店のイメージが出るものだし、自分たちのお店の理想があるからそういう選択ができる。だから、改めて僕らはROCKがどんなお店か、どういうお店をめざすのかを自覚する必要があるんです。
——ROCKの遊び心と魅力がいろんな形で表現されると面白いですよね。ありがとうございました!