萌木の村にある工房で、オルガネッタと呼ばれるオリジナルの手回しオルガンをつくったり、オルゴール博物館のオルゴールの修理やメンテナンスを行っている職人・脇田直紀。
インタビュー前編では子ども時代から岐阜のパイプオルガン工房時代までの話をうかがってきました。後編では、萌木の村へやってきてからの話を聞いていきます。
→前編はこちら
当時の話から、やがて脇田さんの仕事観や才能と組織のあり方など、さまざまな考え方に話が広がっていきました。
違う視点の人間だったから生まれたオルガネッタ
——前回は岐阜のオルガン工房でオルガネッタを完成させたところまでうかがいました。萌木の村に来たのはいつ頃なんですか?
29歳か30歳くらいのころなんで、今から25年くらい前かな。(岐阜にパイプオルガン工房を開いていた)辻(宏)さんのところには11年くらいお世話になっていました。この前も話したように僕はもともと楽器なんて全然興味がないくせに、ほかに当てがないからオルガン工房に入ったっていういい加減な人間なんだけど(笑)、とにかくものづくりはできるし、ひととおりオルガンづくりの技術を学ばせてもらった。で、オルガネッタをつくる過程で社長(萌木の村の舩木上次)と出会って、完成した報告をしに行ったら、えらい喜んでくださって、「日本でこんなのつくれるやつはいない」って言ってさっそく注文してくれたんですよ。で、さらに買い付けにも同行してくれないかって言われたんです。社長はオルゴール博物館をつくっていろいろとオルゴールを買ってたわけだけど、やっぱり痛い目にも遭っていて。だから、専門家としてオルゴールの良し悪しを見極めて、適正な価格かどうかアドバイスしてほしいって言われたんです。あと、調整とかね。そういう形でお付き合いをするようになって何年か経ったころに、社長に「こっちにきてオルゴールの面倒を見てくれ」って誘われたんです。「工房もつくるから、オルガネッタの注文も受けるならそこでつくればいい」って。
——それで辻さんの工房を離れたんですね。
そう。辻さんには散々お世話になったんだけど、自分がつくりたいと思うものをつくってやっていく道ができたということなんでね。辻さんのつくっているパイプオルガンっていうのは本当にすばらしいものなんだけど、あれはみんなでつくってるわけ。小さなタンスくらいのものもあったけど、立派なコンサートホールに入れるような大きなものも多かったし、ひとりで全部つくれるようなものじゃない。そうやってみんなで協力してつくるのも面白かったんだけど、やっぱりちょっと仕事ができるようになってくると生意気になってくるんだよ。設計しているのは辻さんだし、指示や最後の調整なんかも辻さんがやっているから、当然できあがったものは「辻さんの何台目のパイプオルガン」って形で世に出るんだけど、「実際にものをつくってるのは俺たちじゃん」って(笑)。もちろん辻さんがいろいろと指導してくれてできるんだけど、それも「自分はこういうふうにつくりたいけど、辻さんがこう言うから仕方ねえな」とか思ったり。自分がつくりたいようにはつくれなくて、世に出るときも辻さんのものとして出る。そうなると、やっぱり自分の名前でものをつくりたいって思うようになるじゃない。オルガネッタなら自分だけでつくれるし、好きなようにもできる。しかも自分の作品として世に出せるでしょう? 辻さんには本当にお礼の言葉もないくらいお世話になったんだけど、せっかくそういうお誘いを受けたからってことで、そっちに行きたいって相談したんだ。
——辻さんはなんて?
「君がそうやってひとりでやってつくったあの楽器(オルガネッタ)は僕から見てもいいものだから、認められてひとりでできるという機会があるなら、残念だけど頑張ってくれ」って応援してくれました。それで、めでたく萌木の村に来ることになった。
——オルガネッタをつくったことが大きな転機になったんですね。
もちろん最初につくったときはこれで食べていこうとか、何台もつくることになるだろうとか、そんなことは考えてなかったけどね。辻さんに「何かそういうものができないか」って言われて考えたものだし、自分がつくりたくてつくってるだけだった。ただ、実際に最初のものができて、音を鳴らしてみせるとみんなすごく喜んだんです。前に話したとおり、辻さんの工房は観光客なんかも来るようになってたんだけど、立派なパイプオルガンを見たときは神妙な顔で「はぁ〜すごいですね」なんて言ってた人たちが、見習いの若造がつくったおもちゃみたいなもの、今みたいにちゃんとした演奏もできなかった試作品を見ると笑って喜ぶ。オルガンってこういうものなら、もっとみんなが楽しめるんじゃないかって思ったんです。
——確かにパイプオルガンってちょっと敷居が高いですよね。
値段も高いしね。タンスくらいの大きさのもので500万円とかするし、大きなコンサートホールに入れるようなものは億単位になってしまう。金額だけじゃなく広い置き場所も必要だから、そうそう気軽に買えるようなものじゃないんですよね。それに、演奏を習えるところも限られてる。音楽科がある大学でも、オルガン科があってパイプオルガンがある大学って本当に限られるんですよ。しかも、パイプオルガンってヨーロッパの教会音楽用の楽器として使われたので、演奏するのは宗教音楽がほとんどなんですね。もちろんそれは素晴らしい音楽なんだけど、日本では馴染みがある人は少ない。クリスチャンの日本人って人口の1%くらいしかいないわけだし。パイプオルガンが普及しないのは当たり前だなと思って。
——聞こうと思う機会も、演奏する機会も限られてるわけですね。
そういうハードルを全部取っ払ったのがオルガネッタなんです。紙を入れて回せば誰でも演奏できるし、サイズも昔のブラウン管テレビくらい。みんなリビングにはテレビがあるわけで、それくらいのサイズなら家庭にも置ける。値段も、高いとはいえ車1台分くらいと考えれば、買えない額じゃない。曲だって宗教音楽だけじゃなくて、童謡とかアニメの音楽とか何だって演奏できる。パイプオルガンから一般の人がなじみにくい部分を取っ払った楽器なんです。パイプオルガンっていうと大層な感じがするけど、パイプって要は笛で、そこに空気を送って鳴らしているだけなんです。口で吹く代わりに鍵盤で機械的に空気を送って弾けるようにしたもの。鍵盤で弾くとひとりで何音も音を出せるから、ひとりで和音が出せるという便利な点があるんでね。でも、要するにそれだけのものなんですよ。僕の場合はさっきもいったようにパイプオルガンに思い入れがあってはじめたわけじゃないから、そういう発想ができたんです。
——確かにパイプオルガンが大好きって人からは、なかなか出てこない発想かもしれないですね。
辻さんの工房に来る人は当然パイプオルガンに心底惚れている人ばかりだったんです。サラリーマンをやっていたけど、どうしてもパイプオルガンが好きで夢を諦められなくて脱サラして来たっていうような人がほとんど。そういう人たちには「パイプオルガンとはなんぞや」という理念みたいなものがあって、神を讃える楽器だったりするわけです。実際製法なんかも歴史があって、技術もすごいですから。木の1本1本切り出すところからはじめて、1台大きな楽器をつくるくらいものすごい高い技術で精魂込めてつくっている。その上で演奏するのは海外から一流の人が来てくれて、一流のものを演奏してくれる。しかも演奏する曲はバッハの、これ以上の音楽があるかというくらいの究極の音楽です、と。そういう人たちからすれば、なんでそういう楽器でわざわざアニメの音楽なんて演奏する必要があるのかって話になる。ほかの楽器で弾けばいいじゃん、と。でも僕の場合は、要するに笛だし、特別なものじゃないし、どこで弾いたっていいじゃんって思えたんです。僕から見れば、せっかく素晴らしい楽器なのに、置ける場所が限られてて、よく知らない外国の人が、馴染みのない曲を弾いてる。これじゃ音楽ホールに入れたって、人が来てたくさん聞いてくれて、オルガンが普及して、僕らがつくった楽器がどんどん生かされていくって状況にはならないでしょう? だったら、もっと気軽なものをつくりましょう、と。それはパイプオルガンに心酔している人からすれば邪道だけど、僕は機械いじりなんかの延長でやっているから。そういう視点の違う人間がいることって、大事なことなんだと思う。
——そうなるとオルガネッタをつくったときもほかの人からは反発もあったりしたんですか?
それはなかった。みんな面白がってくれたし。でも、面白がるだけで「じゃあ俺もつくろう!」とはならなかった。面白い発想だと思ってくれた人もいるかもしれないし、所詮はお遊びだって思ってる人もいたかもしれない。それはわからないけど。辻さんは声をかけてくれた人でもあるから、すごく喜んでくれたけどね。
ガラス張りの計画もあった脇田さんの工房
——萌木の村に来てからはもうずっと今の工房でオルガネッタをつくったり、オルゴールの修理や調整をしていたんですか?
いや、来た当初はまだ工房もできてなかったからそんなにやることもなくてね。この建物の上にオルゴールなんかを売っているお店があって、ここはその倉庫だった。工房もないし、楽器の手入れといっても道具も自分のノミとかカンナくらいしかないから、大きな修復とかできるわけもない。だから、やることがなくて夏の外売りの手伝いとかしてた(笑)。
——何ですか、それ?
萌木の村に広場があるでしょう? 当時は夏になるとあそこで絵はがきとか工作キットとかそういうちょっとしたものを、テントで販売してたんですよ。バブルははじけてたけどまだ景気はよくて、オルゴール博物館も夏の繁忙期には1日2500人とかお客さんが入ってた。今じゃ考えられないけど、入り口にダーッと人が並んでて、40分待ちとかなっていたんだよ。
——そんなに!
当時、ミュージアムブームみたいなものもあったからね。みんなお金があって余裕ができた時代で、「知的」とか「文化的」ってものが求められるようになった。清里みたいな郊外で、ミュージアムに行って「素晴らしかったね」ってお茶でもして帰るのがかっこいい、一種のステータスみたいな雰囲気があった。だから、オルゴールに限らず、いろんなところにいろんなミュージアムができたんです。で、つくれば話題性があって、何もしなくても人が来た。ミュージアムにとってはいい時代だよね。その後景気が悪くなっていって、余裕がなくなってくるとみんなそんなことにお金をかけていられなくなって、ブームが去って、ミュージアムもどんどん閉鎖されていったんだけど……。とにかくその当時はちょうどミュージアムがすごく人気だったんだよ。特にオルゴールの博物館は日本全国でもまだ珍しくて、首都圏近郊だと東京とここくらいしかなかったし。
——それだけ人が来てたらお土産も売れますよね。
うん。俺、けっこうそういうの調子よく売っちゃうから、バンバン売ってたよ(笑)。当時のオルゴール博物館の副館長が来て「ありがとうございます! 今日は新記録出ましたよ!」なんて言われたりしてた。しばらくそんな感じだったんだけど、社長が「ワッキー(脇田さん)にそんなことさせてるのはもったいない」って言って、楽器に関わる仕事とか機会を持ってきてくれたりもして。当時、フィールドバレエで使う自動楽器をベルギーの方に発注してて、それがもうすぐできるからっていって、3か月くらいベルギーでその楽器をつくる手伝いに行かせてくれたりした。あと、自動バイオリンをつくってるドイツのメーカーで仕事をしてくる手配をしてくれたり。要するに研修だよね。個人ではそんなところなかなか行けないし、その上会社のお金で勉強させてくれたんだからありがたい。僕はパイプオルガンの工房にいて、ひととおりの技術は教わっていたから素人がやるのとは違うけど、オルガネッタは見よう見まね、独創でつくったものだったわけ。このとき初めて自動楽器のプロの仕事を見せてもらって、その方面の専門知識も身につけさせてもらった。それで自動楽器づくりに関してもずいぶんポテンシャルが上がったんです。そんなことをしているうちに、工房の話が具体化してきた。
——ようやくこの工房ができたんですね。
いや、実はね、最初はここにつくるって話じゃなかったんだよ。これも今聞くとビックリしちゃうけど、当時まだ景気がよかったし、オルゴール博物館もものすごく人が来ていたから、2号館を建てるという計画があった。
——ええ!
で、その2号館に僕の工房をつくろうという計画だったんです。ガラス張りで見えるような形で。それで「やめてください」って反対した。だって、そんなところにガラス張りの工房つくられたら、お茶も飲めないし昼寝もできない。失敗しても失敗していないフリしてやらなきゃいけないし、堅苦しくてやってられないでしょ。だから、この倉庫が空いてるからそこを片付けて使わせてくれって言ったんです。人目にも付かないし。それでここを改造して工房にしてもらって、それ以来ここで仕事してます。
行き詰まったら「普段絶対やらないことをやってみる」
——当時から基本的にオルガネッタをつくってるんですか?
それとオルゴール博物館の楽器の修理。そこの天井だけちょっと高くなってるでしょ? オルゴール博物館って大きな楽器もあるから、そういうものも入るように天井を高くしてもらったんです。当時は鳴るけど調子が悪いって楽器がけっこうあったのでそういうものを直したり、細かい調整をしたりしてました。
——自動楽器の修理ってどうやってやるんですか?
僕は辻さんの工房でパイプオルガンの技術を教えてもらって、さらに萌木の村に来て海外に行かせてもらって自動楽器の技術も学べた。だけど、自動楽器はもともとヨーロッパで生まれたものだから、日本には教本やノウハウ本みたいなものなんてないし、誰かに聞けるわけでもない。基本的に実際に楽器を見て、楽器に教わりながら直していくしかないんだよね。だから、どうしても行き詰まることがあるんだよ。そうなると苦しい。当時はネットなんてものもないし、あったとしてもヴィオリーナ(ヴァイオリンの自動楽器)の直し方なんて出てこないわけ。
——「これどうなってるの?」ってものも多いんですか?
そういうのばっかです。でいて、みんなは「脇田さんに言えば直るんだよね?」って思って見てるから(笑)。もちろん教えてもらったり、図面や何かを見せてもらって構造を知識として知っているものはあるんだけど、知識があればできるってわけでもない。車の運転もそうでしょう? 教本読んで運転の仕方や交通ルールを理解しても、それだけで運転ができるかっていったらそうじゃない。やっぱり経験がないと、勘所みたいなところがわからない。楽器の修理も「ここだな」っていう目星の付け方みたいなものが、経験がないとわからないんです。最初は知識はあっても経験がないから笑っちゃうくらい何もできなくて、それでもどうにかしないといけないから四苦八苦しながら修理してた。そうしているうちにだんだん経験が付いてきてできるようになってきて、「所詮人間のつくったものなんだから人間に直せないわけがない」って感覚になってきた。
——どうしても直し方がわからないときってどうしてるんですか?
あのね、そういう楽器の修理をやっていて気付いた方法なんだけど、「とにかくわけのわからないことをやってみる」(笑)。たとえば、どこかのねじをゆるめて、締め直してみるとか。ゆるめればはずれるよね? それをもう1回しめるだけ。そんな当たり前のこと、やらないし、やったとしても変わらない。そりゃそうだよ、ねじを外して締め直しただけなんだから。いってみればもうヤケクソだよね。でも、それを漫然とやるんじゃなく、ものすごく注意してやる。そうすると、そのなかで「あれ?」って思う変化が起こることがあるんです。わからないときって、ひととおり自分の知識でわかることは全部やっているわけで、あやしいところは手をつけてある。にもかかわらず直らないってことは、自分が何か見落としてるわけだよね。もちろんそれまでにいろいろ学んできているし、見落としなんてないように思えるんだけど、本当に見落としがないならちゃんと動くはずなんです。つまり、自分の知識を全部使って見つからないということは、自分の知識の外に壊れているところがあるということなんだよ。だから、自分の知識や常識では考えられないようなことをやってみるしかない。普段自分がやらないようなこと、当たり前だからやらないことのなかに隠れている可能性がある。そういうことを手当たり次第やっているうちにちょっとした変化が起こる。そんなこと起こるはずないのにっていう変化があったところを調べていくと、「あー! これはわかんねえよな!」ってところが見つかったりするんです。もうね、だいたい「こんなの俺じゃなくてもわかんねえよ」っていうようなところなんです。そういうのを見つけると「俺って天才だな!」なんて嬉しくなってね(笑)。工房はひとりきりだから誰にも言えないんだけど、帰るときにもひとりで「フッフッフッフ(笑)」とか言っちゃうくらい。
——究極のやり方って感じですね。
マニュアルどおりにやって見つけられるようなものじゃなくて、もう偶然に見つかったようなもんなんだよね。これが見つからなかったらヤバかったよなってものなんだけど、そういうのを繰り返していくとクソ度胸みたいなものがついてきて、「まあ、たいていのものは直せるよ」ってなる。
——結果的に直ったけど何で直ったのかわからないってものもあったりするんですか?
だいたいわかるんですけどね。ただ、まれに本当にわからないこともある。技術ってさ、突き詰めていくとどんどん研ぎ澄まされてわかることも増えていくけど、最後の最後どこまでいってもわからない領域ってあると思うんだよね。たとえば、ビールやウイスキーなんかでも、同じレシピで同じようにつくっても完全に同じにはならないでしょう? 食べ物は特にだろうけど、楽器なんかも同じようにつくっても完全に同じものにはならない。いつも99%とか98%まで、常に同じ水準のものをつくれるっていうのがプロなわけです。素人さんがたまたまプロも驚くほどデキのいいものをつくることはあるけど、次は40点くらいのものになったりってムラがある。たとえ何らか条件が悪くても必ずこの水準のものはできるのがプロだし、その上でさらに相手に合わせたカスタマイズなんかもできるからプロなんです。だから、99%とかまで自分の狙いどおりつくれるんだけど、最後1%とかは神様の気まぐれとしか呼びようがない部分がある。同じものをつくっても完全に同じにはならないんだよね。
「自分からやる人」だけでも組織は成り立たない
——萌木の村に来てからもうかなり経ちますが、その間に別のところに行きたいと思ったことはないんですか? それこそ本場のヨーロッパとか。
どこかに行こうと思ったことはないですね。ひとつはここの工房が自分にとって一番仕事しやすいから。好きな仕事を好きなようにやれる環境を用意してもらっている。たとえば僕は戦艦大和の模型をずっとつくってるんだけど、つくるだけじゃなくてどうなっているのかを調べるっていうのもずいぶんやっているんですね。調べて何なんだっていう話なんですけど。そうすると、仕事しているときにふっと「あの部分ってこうすれば調べられるんじゃないか」ってアイディアが浮かんだりすることがある。そういうときに、ここでのやり方なら先にちょっとそれを試してみよう、とかいうことができるんです。で、結局それが夕方までかかっちゃったりするんだけど(笑)。仕事してねえじゃねえかとかちゃらんぽらんって言われても仕方ないし、実際ちゃらんぽらんなんだけど、そういうことができる環境がありがたいんですよね。そういうある程度自由な状態でいられるから、いろんなアイディアを試せるし、アイディアが湧いてくる。結果としてだからこそ時計みたいに、本来自分の専門ではないものを頼まれてもつくれるわけです。そういうところが自分に合っているし、この工房があるうちはここから出て行くことはないかなと思います。それと、八ヶ岳って場所も合ってるんだよね。このあたりって独特でしょ? 田舎は田舎で、山に囲まれてるんだけど、囲まれている割に裾野が広い。山に囲まれた田舎って、だいたい山の圧迫感があるんだけど、ここはどこか開放的なんだよね。その上、住んでいる人たちも個性的なひとが多くて、ある程度文化的な雰囲気もある。もともと自然は好きだし、岐阜の工房も田舎だったけど、ずっと住むかっていわれたら「それはちょっとな」って思うところがあった。ここはずっといたくなる、居心地がいい場所なんだよね。
——場所もそうですが、脇田さんみたいに「興味を持ったらやらないと気が済まない」ってタイプは、いろんなことに手を出していくイメージがあるんですが、脇田さんはそれでいて戦艦大和の模型をずっとつくり続けていたり、ひとつのことを長く続けますよね。
僕は時間感覚がちょっと普通とは違うみたいなんだよね。平気で10年単位とか30年単位でつくろうって考える。「じゃあ、10年くらいかけてやろうか」とか。普通の人からすると「10年!?」って思うかもしれないし、小学校のときに大和の模型をつくったときも小学生が半年も同じものをつくり続けたってことで驚かれたんだけど、自分としてはやってたらそうなってただけなんだよね。のんびりしてるというのとはまた違うんだけど、時間の感覚が特殊みたい。
——普通の人って、それだけ長いこと同じことをやっていると途中でモチベーションが下がってやめちゃったりするじゃないですか。
もちろん多少上がったり下がったりはあります。でも、逆にそれくらいやれるぞって思うくらい興味があること、夢中になれることじゃないと最初から手をつけないんですよね。思い付いたらやらなきゃ気が済まないっていうのも、基本的にはアイディアや方法論みたいな部分で、つくるのはずっと大和だったり楽器だったりなんです。対象はいつも同じものということが多い。オルガネッタも45台目なのでいい加減飽きているといえば飽きているんだけど(笑)、割とずっとやっていられるタイプなんだろうね。なぜかはわからないですが。
——放っておいてもやりたいことをやって、面白いものをつくれるタイプですよね。
僕の場合はある程度放っておいてもらった方がいいんですよね。ただ、みんながそうなるのがいいって話じゃないんです。社長はよく「ワッキーはすごい。ああいう人間がもっと必要だ」みたいに言うんですけど、俺みたいな人間ばっかりだったら組織なんて成り立たないですよ。出しゃばりでまとまりがないし、勝手なことばっかり言うわけだから。よく「言われたことしかしない」ってダメなこととして言われるけど、それって大事な才能なんですよ。言われたことをちゃんと地道にこなす人は必要で、そういう人がいるから組織が成立している。そういう人たちがつくってくれた土台があるから、自分みたいなのが好き勝手やれているんです。そうやって、それぞれに合った形で、それぞれの強みを活かせる組織の方が強くなるし、そういうシステムをつくるのが上に立つ人の役目だと思う。そういう仕組みは大きな組織より小さい組織や中くらいの組織の方がやりやすいと思うし、萌木の村はそういうサイズだよね。なかでもROCKなんかは特に自由で、それぞれの個性を活かしていこうって雰囲気があっていいなと思う。
環境があるから仕事ができている
——いろんな役割や個性が必要なんですね。
僕はこういう仕事をしていて、工房ではひとりで作業しているから、つい「俺がやった」って感覚になっちゃうんだけど、そうじゃないんだよね。僕はホンダの創業者・本田宗一郎って割と好きなんだけど、彼の晩年のエピソードにこんな話があるんです。本田宗一郎は65歳を過ぎたあたりで社長を退いて、その後はそれまでお世話になった世界中の人を訪ねてお礼を言ったりしながら過ごしてたらしいんだけど、あるときホンダの工場を訪れた。ホンダにはNSXというフラグシップ車があって、市販車でできる最高峰というような車だったんですね。で、その工場に「選ばれし者がつくったNSX」ってようなタイトルで、関わったトップエンジニア数名が写った写真が飾ってあった。それを見た本田宗一郎は激怒したっていうんです。「何だこの選ばれし者っていうのは」と。「工場のほかの従業員はどこだ? 掃除をしてるおばちゃんはどこに写ってるんだ? 食堂で働いてる人も写ってないじゃないか」って。つまり、ここに写ってる何人かのエンジニアだけでこの車ができたと思っているのか、ということなんです。そいつらが仕事できたのは、工場があったからだし、そこを掃除してくれる人、ごはんをつくってくれる人がいたからであって、その数人だけで車ができてるわけじゃないんですよね。僕は昨日カレーつくってたんですけど、「カレーをつくった」っていっても、牛を育てたわけでもないし、野菜を育てたわけでもない。スパイスを取ってきたわけでもないし、火だってガスが引かれてなかったら付かない。スパイスを運ぶには船や飛行機が必要だったわけだし、ガスや水みたいなインフラがなくてはできないし、包丁や鍋も必要になる。そう考えると、世界中のあらゆるものが関わってようやく1杯のカレーができてるわけです。確かに最後カレーにしたのは僕だけど、それって一番最後のところだけちょこちょこっとやってうまく味付けしてそれらしくしただけなんですよね。
——確かに……そう考えるとカレーってすごいですね。
僕の仕事もそうなんです。ここにオルゴール博物館があったから縁ができて、自分の仕事もできたし、工房があるから仕事ができる。そもそもは社長が萌木の村をつくったおかげだし、この工房やオルゴール博物館が今あるのもROCKとかほかのお店が頑張っているおかげでもある。さらに、さっきも言ったように地道に言われたことをこなしてくれる人とか、組織を支えるいろんな人がいて、ようやく僕が好き勝手なことをやらせてもらっている。もちろんオルゴール博物館から見れば、僕がいるから展示している楽器のコンディションを保てるし、コレクションとして成立しているわけだけど、そうやって僕が能力を発揮できるのも環境があってこそなんですよね。生かされているってことなんです。自分の能力を生かしてくれる場所って、世界中でもそんなにたくさんないと思うんです。ありがたいことなんだよね。
流されると本来の道からそれていく
——脇田さん自身がこれからやってみたいこととかはあるんですか?
それがあんまりないんだよね。「こんなものをつくりたい!」って言えた方が様になるんだろうけど、将来どうしたいですか?って言われたら、「まあ、こういう仕事をずっとやっていきたいです」ってなっちゃう(笑)。こういう仕事っていうのはつまり、オーダーメイドで注文を受けて、自分の技術や経験を生かして、注文してくれたその人のためにコツコツとつくっていくというスタイル。生かされているって話をしたけど、みんなそれぞれ才能を持って生まれてきているわけです。僕の場合は手先が器用でものづくりが得意とかってことなんだけど、じゃあそれを何のために持っているのか。もちろんそれで生きていけってことでもあるとは思うんですね。今の人間でいえばお金を稼ぎなさいということでもある。だけど、そういう才能がどう使ったときに一番生きるかっていったら、自慢してるときじゃないですよね。「俺は器用なんだ」「料理がうまいんだ」「足が速いんだ」って自慢しても別に意味はない。そうじゃなくて、誰かが喜ぶように使ったときに、一番生きるわけです。イチローなんかわかりやすいよね。才能があって、さらにものすごい努力を重ねた結果、あれだけすごい選手になったわけなんだけど、冷静に考えると投げられた球を棒で打ち返すのがうまいってだけで、別にそれ自体が何かの役に立つわけじゃないじゃないですか。だから、もし野球なんてものがなかったら、それ自体を自慢されても意味がわからない。だけど、そういう何の役にも立たないことに、みんなが熱狂して、「次はどんなプレーができるんだろう」ってワクワクするわけですよね。それって自分が楽しいのももちろんだけど、人が喜んでくれる使い方をしているってことなんだよ。
——自分の才能やその生かし方ってなかなか見つけられない人も多いと思います。どうやって見つければいいんでしょう?
僕の場合は前もいったように自分のやりたいことをやりたいようにやっていたら、何だかわからないけどうまくいってたという感じなんだよね。でも、みんなそうなんじゃないかって思う。人のアドバイスってすごく大事だし、たとえば学校の先生なんかにしても悪意でアドバイスしてるわけじゃない。だけど、人にもともと決められていた道や才能があるとして、人の意見に流されてしまうと、そこからどんどんはずれてしまうんじゃないかと思うんだよね。アドバイスは大事だけど、何かを決めるというときに自分が本当にやりたいことを選んだ方がいいと思う。失敗するかもしれないけど、長い目で見るとそれがいい方に転がったりするんだよ。仕事を選ぶときもお金になるとか有給が多いとか、それも大事なんだけど、そういう、悪い言い方をすれば世俗的な観点で選ぶと一番いい道からはそれていってしまう気がする。僕は金持ちでも有名人でもないけど、自分にとっては一番生きやすいというところで生きさせていただいてありがたいなと思ってます。オルガネッタにしても、最初につくったときはこれで食べていけるとかそういうことでつくったわけじゃない。ただつくりたいからつくっただけなんだよね。それが、なぜかわからないけどうまくいっている。注文が減ってきたなってころになると、ふっと「前からずっとほしいと思っていたんです」っていって、新しいお客さんから注文が入ったりして。世界中でここにしかないから、ほしいと思ったら僕に頼むしかない。そういうものをつくっていると、何かのときに流れてくるんですね。もちろん社長が「これはすごいんだ!」って紹介してくれて、そこから注文が来たことも多いんだけど、そうやって突然オーダーしてくれる人の方が長くいい関係を築けていることが多い。長く愛されるものっていうのは、そういうものなんじゃないかと思うんです。「すごいんだ!」って宣伝すれば、そのとき興味を持つ人は多いかもしれないけど、そうじゃなくてここにしかないものをずっとつくっていくことで、自然に好きになってくれたり、素晴らしいと思ってくれる人が増える方が大事なんじゃないかなって。
——萌木の村にとってもすごく参考になる考えだと思います。今日は本当にありがとうございました!