「韮崎と北杜を面で捉えて、山と麓をつなげていかないといけない」
韮崎・chAhoオープン記念鼎談!花谷泰広×山本健一×三上浩太

韮崎のシンボルであったアメリカヤが復活して1年半ほど。今韮崎駅前は次々と街並みに変化が生まれています。

そのアメリカヤ復活を仕掛けたイロハクラフトの千葉さんがキーパーソンとなって、新たなスポットが生まれました。アメリカヤの並びに2019年12月にオープンした「chAho(チャホ)」です。

ここはかつてはお茶と海苔のお店を営んでいたビルをリノベーションして生まれたゲストハウスで、アウトドアやアクティビティとつなぐ場所というコンセプトでつくられています。プロデュースには韮崎出身の世界的トレイルランナー、ヤマケンさんこと山本健一も関わっています。

韮崎から北杜にかけては鳳凰三山や甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳など、さまざまな山があり、そこで活躍する人たちも多いです。萌木の村の取締役・三上浩太も山好きのひとり。

今回は「chAho」のオープンをきっかけに、ヤマケンさん、そしてピオレドール賞も受賞した北杜市在住の登山家・花谷泰広さんにお声がけし、山のフィールドと地域について話を聞きました。

モーグルのために始めたトレイルランニングが本業に

三上 僕は父が山岳ガイドをやっていて、自分自身山好きでもあることもあって、おふたりとも少しずつ関わりはありました。花谷さんとは、父が仕事でご一緒させてもらってたり、ヤマケンさんも一方的に知っていたところで、ROCKに来ていただいて挨拶させてもらったり。ただ、なかなかしっかりお話をうかがう機会はなかったので、今回「chAho」がオープンするのはいいきっかけだなと思って、声をかけさせていただきました。

花谷 ヤマケンとはフィールドではちょこちょこ会うけど、こういう形で絡むのは初めてだよね。

山本 そうですね。

花谷 実は大学の後輩でもあるんだよね。ふたりとも信州大学で、大学時代に会ったこともあるらしいんだけど……

山本 いっしょにスキーに連れて行ってもらったんです。でも、花谷さんは僕のことを覚えてなかったという(笑)。

山本健一さん。

花谷 スキーに行ったことは覚えてるんだけどね(笑)。

山本 まあ、適当に友だち同士で集まって行ったスキーだったから、誰がいたか覚えてないんでしょうね(笑)。

三上 大学ではふたりとも登山を?

山本 高校では3年間登山をしていましたが、大学では、僕はモーグル選手だったんです。オリンピックに行くために大学で練習していた。ケガもあったりして結局オリンピックには行けなかったんですけど、社会人になってからもモーグルは続けていました。で、オフシーズンの練習として出会ったのがトレイルランニングだったんです。当時知り合った人に「山で走るレースがあるよ」って教えてもらって。それでモーグルのためにトレイルランニングを始めたんですけど、それが徐々に逆転していって、気付くとトレイルランニングが仕事になって、モーグルが遊びに(笑)。まあ、仕事になった今もトレイルランニングは趣味でもあるんですが。

三上 今はアスリートとしてトレイルランニングをやっているんですよね。

山本 そうです。去年(2019年)、北欧のアウトドアブランドを輸入して販売している横浜のフルマークスという会社の社員として、契約アスリートとして活動するようになりました。イメージ的には実業団の選手に近いですかね? 横浜の会社には行かず、地元の韮崎に住んで、朝から好きなだけトレーニングをするような生活をしています。40歳でようやくって「遅いだろ!」って思いますけど(笑)。

三上 それまでは教員をしていたんですよね。

山本 そうです。普通の学校の先生、つまり公務員でした。今は競技が一番優先だから、遠征やトレーニングとかを一番……いや、ひとつ最優先がありました。娘のピアノの発表会(笑)。

三上 (笑)。

山本 これだけは譲れないので、娘のピアノが最優先、次に遠征とそのためのトレーニング、さらにほかに何かできることがあれば、という優先順位でやっています。その「ほかにできること」のひとつとして地域のことなんかにも関わっています。韮崎の親善大使にも選んでいただいたし、できることがあれば、という感じで。まわりから見れば地域の活性化という活動になるんですかね。

花谷 プロアスリートだからそうあるべきだし、俺も30代の頃はそういう生活をしてたからね。当然だよね。

山小屋は行政とタッグを組む手段

三上 花谷さんは今、甲斐駒ヶ岳 七丈小屋の運営もやっていますが、そのほかにどんなことをしているんですか?

花谷 改めて聞かれると、どういうことやってるんだろ? いろいろなんだけど……そのいろいろを説明しないといけないんだよね(笑)。

花谷泰広さん。

三上 そうですね(笑)。

花谷 俺は今もう自分の登山とかトレーニングとかはしていないんですよ。で、普段は山小屋にいる時間もそんなに長くなくて、多くてひと月の4分の1くらいかな? 3分の1までいかないくらい。で、ほかの時間に何をやっているかというと、山を切り口にしていろんなアプローチをしてるんです。アプローチ別に会社を2つつくっていて、ひとつは北杜市で地域の活性化をやっている。山というのをひとつの素材として、来る人を増やしたり、盛り上げたりしていくことを自分なりに考えてやっています。一方で、山全体のことも考えないといけない。山って学びの場とコミュニティの再構築が必要だと思っていて、そのためにいろんなところとコラボして事業というか、活動をしています。たとえば、「YAMAP」っていう100万人くらい使ってるスマホアプリの会社と組んで山の先輩の話を聞くアカデミアっていうのを始めたり、若い人たちとヒマラヤに行くプロジェクトをやってたり。ヒマラヤに行くプロジェクトはもう長くて、2014年からずっとやってますね。

三上 北杜市は八ヶ岳とか甲斐駒ヶ岳とか、山に恵まれた土地で、僕自身もすごく好きなんですが、その資源をもっと活かすことができるのではないかと思っています。

花谷 そう。北杜とか韮崎って中央自動車道と中央本線っていう大動脈で首都圏とつながっていて、そこには計り知れない可能性がある。だけど、それを活かし切れていないよね。北杜に限らず、地方がこういうものを活かしていくためには行政の力が不可欠で、タッグを組まないといけない。だけど、韮崎出身のヤマケンと違って俺はよそ者だから。

三上 出身はどちらなんですか?

花谷 神戸。まあ、もう北杜に住んで15年になるんだけど、それでも地元とのコネクションってそう多くない。甲斐駒ヶ岳で小屋をやりはじめたのも、そこを解消するためでもある。あれは北杜市の指定管理の小屋だから、当然行政とも密にコミュニケーションを取ることになる。そうすればもっといろんなことができるようになるわけ。だから、小屋をやることが目的というより、「こんなにいいフィールドがあるのにもったいない!」というところからスタートして、それを活かすための活動を逆算していくと、小屋をやるというところにたどり着いたということなんだよね。で、今はそれを具体的なビジネスに落とし込んでいっている。

歴史の長い登山と新しい文化をどう共存させて定着させるか

三上 花谷さんのイメージする「山と地域の活性化」ってどういうものなんですか?

花谷 単純に山に人が増えればいいと思っているわけでもなくて……たとえばヤマケンだって、トレイルランニングをやってることで登山の世界から「あんなところを走りやがって」ってブーイングを浴びたりしてたわけじゃない?

山本 そうですね。2009年だったかな? 「小さな旅」っていうNHKの番組に僕が出たんです。そのとき出たのが、甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根を走る姿で、その後黒戸尾根を走るランナーが増えた。

花谷 結果的に「お前が走ったせいで黒戸尾根があんなふうになった」って批判も浴びた。

山本 トレイルランニングは山のことをしらなくてもできちゃうんですよね。それがいいところでもあり、考えなければならないところでもある。陸上選手が活躍できるレースがたくさんあります。登山から始めて、「ここを走ったら気持ちいいだろうな」ってトレイルランニングを始める人もいれば、陸上から入って「山を走るレースもあるんだ」って始める人もいる。それはすごくいいところです。でも、一方でタイムを意識して走るから、狭い登山道でも停まらなかったり、他に人がいても関係ないって走り方をしたり、自分本位な人も出てきてしまった。

花谷 でも、トレイルランニングも山の文化なんだよね。もちろん登山も昔からある文化。だったらそれをもう少し近づけることはできないのかな、という話もずっとしている。増やすだけじゃなくて、文化として近づけていく。

山本 ヨーロッパの山だと、印象として登山道にハイカー・登山者がいて、トレイルランナーがいて、マウンテンバイクがいて、それぞれがそれぞれを尊重して垣根がない。日本では登山の歴史の長さに対して、ほかはすごく歴史が短いからどうしても衝突はあるんですよね。だから、それぞれの文化を発信していかなきゃいけないし、トレイルランナーには登山者の気持ちも知ってもらわないといけない。ただ、それは文化の定着だから時間はかかりますよね。

三上 でも、トレイルランニングへの批判も以前に比べるとかなり少なくなったという印象はあります。雪解けしてきているのかな、と。

三上浩太。

山本 このあたりでは何も言われないですね。

花谷 甲斐駒はそうだね。

山本 鳳凰三山なんかもそう。むしろ僕が走ってると「頑張れ頑張れ」とか「もっと速く走れ!」って感じです(笑)。やっぱり一番問題が多いのは東京とか人が多いところ。混雑するところはどうしてもいろいろある。だけど、それも……

花谷 大きな問題にはなってないよね。

山本 そんなエリアでもマナー啓発運動をしてくれている方々もいます。僕ら自身も、花谷さんが小屋を始めてから、「黒戸尾根風紀委員会」みたいなものをつくる話をしていて、若い人を巻き込んでいろいろできればと思っています。そんな活動をしてくれている人がいるのを最近知りました。

インバウンドなんてやらなくてもいい

花谷 そういう部分も含めて、増やすのが絶対的に正しいとは思ってないし、そこでお金儲けできればいいという話でもない。ただ、山という切り口から登山やトレイルランニング、アクティビティの発信をしたり、自然環境に対して発信したり、歴史について発信したり、いろんな発信は必要だと思っています。そうすることで、結果的に来る人はもっと増えると思っている。この「chAho」ができたのもすごくいいことだと思う。つまり、山に登る人が増えるだけじゃなくて、山の登る人の滞在時間が増えることが重要だと思ってるんです。

三上 ただ山に登ってそのまま帰るだけじゃない形をつくりたい、と。

花谷 そう。地元に泊まるのもそうだし、山に登ったあとROCKでごはんを食べていくとか、温泉に入っていくとか、フィールドだけじゃなくて、麓もセットで楽しんでもらえたらなって。

三上 花谷さんとしてはそこで増えるだろう人、増えてほしいと思う層はどういう層なんですか?

花谷 まずは首都圏の人。今行政とか地域の団体と話をするとインバウンドの話になるんだけど、俺は極端にいったらそこはやらなくていいと思ってるんです。それは本当に極端な言い方だけど。失礼な言い方かもしれないけど、ハッキリ言っちゃえばこれくらいのフィールドは世界的にはいくらでもある。スキーリゾートみたいな土地でもないし、上高地みたいな観光地でもない、富山のようにアルペンルートがあるわけでもない。山梨のインバウンドといったらやっぱり圧倒的なボリュームがあるのは富士山で、その人たちを北杜や韮崎にも引っ張ってこれるかというと、どうかなと思う。だってこれくらいのフィールド、どこにでもあるんだから。それより首都圏に住んでいてまだ来たことがない人がたくさんいるわけじゃない? ここはものすごく地の利がある。さっきも言ったように中央自動車道と中央線という大動脈があって、しかも長野より圧倒的に近い。これだけ便利なんだからもっと来てよって思う。今、インバウンドって補助金が出るから騒いでるけど、「この地域の外から人が来る」という意味では海外から来るのも東京から来るのも同じじゃん。首都圏の人を引っ張ってこれるようになれば、インバウンドもあとから付いてくるようになると思ってるんだよ。

三上 そのとおりだと思います。

花谷 フィールドで本当にすごいとしたら、瑞牆山のクライミングくらいかな。あれは世界レベルだと思うけど、いずれにせよそういうものをどうやって盛り上げていくかが重要だと思ってるんです。言い換えれば、どれだけ地域を掘り下げられるか。たとえば、俺の出身の神戸では高校の先輩が「灘百選」というプロモーションをやっているんです。神戸のなかでも灘区という小さな地域に特化したプロモーションで、何でもないような場所も含めてその百選に選んでいっている。道や坂なんかもあって、何でもない場所だったりするけど、それぞれ歴史や背景なんかが紹介されている。掘り下げるってこういうことだと思うんです。それでいろんな人を巻き込んでいる。

韮崎と北杜は、山を中心にした“面”のフィールド

三上 地元の人でも意外と地元のことを知らなかったりしますもんね。

花谷 観光なんかでも、さらっとしたところしか見ていないからね。たとえば山だって、フィールドとしてはどこにでもあるといったけど、歴史で見たら「ヨーロッパのアルピニズムなんぼのもんじゃい」ってくらいの歴史がある。それは日本全体で言えることだけど、歴史的に一番最初は信仰登山というものがあったわけです。出羽三山や大峰みたいに古いものでは1400年くらい前から続いている。甲斐駒ヶ岳も開山して200年ほどといわれているけど、すごい話があって、明治時代に山頂へ登った人が縄文土器を見つけているんです。その土器を現在の技術で調べてみると4200年から2400年ほど前のもの。縄文時代晩期です。八ヶ岳周辺は縄文時代もっとも栄えた場所。で、当時の信仰はアニミズムなわけです。太陽信仰ももちろんある。で、そんな時代に、自分たちの住んでいる場所から見える一番高い山、太陽に近い山に登ったらもしかしたら……って考えてたのかな、とか想像するとすごくロマンがある。もちろん実際どうだったかなんてわからないですけど。でも、そういう土地の歴史ってその土地にしかないもので、ヨーロッパのどんなフィールドとも違うものじゃないですか。景観だけじゃなくて、歴史なんかも掘り下げていけば、日本は歴史が長い分、発信することはたくさんある。僕もよく使う表現なんですが、ここって「雄大な自然はないけど、繊細な自然がある」んです。スケール感では外国には勝てないけど、四季があったり、歴史があったりする。そういう日本にしかないもの、この土地にしかないものを掘り下げていくことが重要なんです。

山本 文化でいうと、ヨーロッパや海外では地域全体、町全体で山のことやレースを盛り上げているのが印象的です。レースの日は夜になれば「こんなところで?」と思うようなところでも焚き火を焚いたり、地域全体を巻き込んでいる。子どもの夢が山岳ガイドなんて地域もあるし、去年(2019年)に行ったフランス領のレユニオン島ではトレイルランニングが島の国技といっていいくらいに盛り上がっています。日本の場合、たとえば富士山で行われているレースはかなり大きいんですが、地元の人が知らなかったりする。そういう部分でもまだまだ日本はヨーロッパに及ばない部分が多いし、むしろどんどんマネしていきたいですね。だから、僕が関わっているレースでも行政はもちろん、いろんな人に関わってもらって、巻き込んでいきたいんです。

三上 自分でイベントを運営していても感じますが、なかなか地域の一体感が生まれないんですよね。どうしてなのか、いろいろ考えるんですが、少なくともひとつ欠けていると感じているのはビジョンです。地域が、峡北エリアがこれから先どうなっていって、だから自分たちはここを強みとしてやっていくんだ、楽しんでいくんだという大きなビジョンを提示できていない。たとえば、北杜市は豊かなフィールドを観光資源として、韮崎はその入り口として機能していこうというようなビジョンがあれば、ひとつの方向でまとまれるじゃないですか。

花谷 それでいうと、韮崎・北杜は面で考えた方がいいなと思ってて。なぜかというと、北杜市は8市町村の合併でできたから中心市街地がない。だけど、地図を広げてみると、そこには八ヶ岳、南アルプス、瑞牆山とそれぞれの中心となる山がある。この山を中心にエリアを捉えていくのがいいと思う。そういうことも含めて、ビジョンって大事な視点だよね。これからこうなっていくからこうしよう、という。たとえば、2030年までには都市部で自動運転ができるようになる。2030年代前半には全国で自動運転が可能になるといわれています。それってもうたった10年後なんですよね。そうなれば、北杜市とか韮崎市とか、どこに住んでいるか、どこにいるかって大した問題ではなくなる気がしていて。

三上 なるほど。

花谷 反面、これから10年は大変でもある。2025年には団塊世代が全員75歳以上、後期高齢者になるんです。社会全体にとってもそうだし、山にとってもこの世代はボリュームゾーンなので、その世代がどんどんいなくなっていくわけです。レジャー白書で調査した登山人口自体、2009年のピークを境に減少し続けている。当時1230万人いた登山者が、今650万人まで減っているんです。

三上 そんなに!

花谷 当時の登山ブームがブームで終わってしまったから。で、人口分布や高齢化率を考えていくと、やっぱりどんどん減少していくわけです。そういう現状の分析や把握は冷静にしておかないと、どんなビジョンも絵に描いた餅になってしまう。だけど、さっきも言ったようにテクノロジーはどんどん進んでいく。10年あればガラッと変わりますよ。iPhoneが出てきたのだって10年ちょっと前でしょう?

三上 確かに。アメリカで生まれたのが2007年、日本で発売されたのが2008年ですから。

花谷 そういう意味で、悲観はしていないんです。ただ、ビジョンを描くのはすごく大事。

仕組みと競技、別々のところから地域を考えるふたり

三上 「chAho」が生まれたことも、この地域を考える上ですごく大きなことだと思います。ヤマケンさんはどういう経緯で関わることになったんですか?

山本 そりゃ、あいつですよ、あのビルの(笑)。

三上 千葉さん(韮崎駅前のアメリカヤをリニューアル・復活させたイロハクラフトの千葉健司さん)の声がけで?

山本 そうです。僕はさっきも言ったように今競技者なので、基本的には競技のことだけを考えている。だけど、この地域が好きでもあるし、できる範囲で活性化もしたい。そこに千葉さんたちがゲストハウスの相談を持ってきたんです。だったら、ここを僕も大好きな鳳凰三山の玄関口にしよう、と。穂坂にもトレイルランニングのコースをつくってもらったし、そこにも行ける。なので、最初はアウトドア、登山をする人たちに利用してもらおうという話をしていたんです。でも、話をしていくうちにもっとライトな人たちにも使ってもらいたいね、となっていった。単純にここに泊まりたいとか、こういう(アウトドア用の)椅子に座ってみたいとか、ギアを眺めてみたいとか、ちょっとおしゃべりしたいとか、そういう人たちにも使ってもらいたいなって。この場所がアウトドアに興味を持ってもらうきっかけになればってことですね。だから、屋上にテントを張ったりもするんですよ。

三上 そうなんですか。

2019年12月にオープンした韮崎の「chAho」。ゲストハウスのゾーンの手前にはアウトドアギアなども。

山本 山に登る人はもちろん、これからキャンプや登山を始めようって人が来る、入り口になるような場所にしようというのがコンセプトになっている。だから、ストイックな感じじゃなくて、チャラい感じなんです(笑)。ふらっと立ち寄っておしゃべりだけして帰ってもいい。とにかくいろんな形でみんなを巻き込みたい、というのが僕の理想なんです。

三上 韮崎は本当にここ数年で一気に動き出していると感じています。まわりからも「韮崎、すごいね」ってよくいわれる。実際にどれだけこのあたりが潤っているかはわからないですが、勢いはすごく感じます。

花谷 でも、この動きはまだ点だよね。北杜もそうだけど、点と点をつなげられていない。ここができたら、本当は次にやらなきゃいけないことはもう見えてるわけじゃん。ほら、何?

山本 え?(笑)

花谷 ここだけだったらダメなんだって。つまりここからフィールドにどうやってつなげるかを考えないといけない。電車があるから電車で来ます。そのあとフィールドや麓のいろんな場所にどうやって行くか。

山本 鳳凰三山や瑞牆山はバスがありますね。

花谷 だけど、そこから食事に行こう、泊まりに行こう、温泉に行こうといろんなものがつながらないと結局人が動かない。つまり、フィールドやいろんな場所をつなぐのは結局二次交通なんです。僕が今小淵沢でやっているのはそういう仕組みづくりで、小淵沢駅から甲斐駒ヶ岳につながる乗り合いタクシーとかをやり始めてる。今年はさらにちょっとした仕掛けを発表する予定です。中央自動車道と中央線が大動脈と言ったけど、そこからどれだけ毛細血管網をつくれるかが重要。できればそれが循環型になるといい。そういうローカルのネットワークができると大きく変わってくると思う。

山本 地域が変わるという意味では、ひとり人が出てくるだけでも大きく変わると思うんです。たとえば、学校でも全員が変わるなんてことは難しい。でも、たとえば誰かひとりがレースで優勝したら、「じゃあ俺も」って続く人も出てくるし、それが徐々に広がっていく。そうすると結果として学校が変わっていくし、地域も変わっていく。だから、先生をやっていたときも「この地域はすごくいい場所なんだよ」ってよく言っていたんです。それでひとり、ふたり地域を好きな人が増えることがすごく大事なんです。

三上 花谷さんは仕組みから、山本さんはアスリートとして、それぞれ山をフィールドにしつつ、違うアプローチで地域に関わっているわけですね。

山本 そうですね。僕個人は今年はまた海外にどんどん出ていくつもりです。

三上 大きなレースに?

山本 そういうのもありますけど、どちらかというと秘境であまり日本人もいなくて、山が激しいところに行きたいなと思っています。

三上 より面白いフィールドを走りたい、というのが大きいんですね。

山本 はい。それで、戻ってきてまたその体験をシェアすることで地域に広げていけたらと思っています。

花谷 僕は仕組みづくりなので、表に出るというよりはいろんなことを裏側から提案したり実現したりしていきたいですね。二次交通の話もそのひとつですから。

三上 今年のおふたりの活躍も楽しみです。今日はありがとうございました!

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